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Jiu勉強帳

28 Dec 2021

(37)一年の総括、2021年

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


日々の記録をインスタグラムへ移行し(といっても2週に一回ぐらいの投稿ですが)、気づけばこちらのブログは眠らせたまま、1年が過ぎてしまいました。


前回の投稿は1年前。

認定医候補=先日名称が変更され、『獣医行動診療科研修医』となりました

の審査を受け、仲間入りを果たしたというご報告をさせていただきました。


2021年はまさに、獣医行動診療科研修漬けの日々でした。


・オンラインセミナーへの参加

・レポート提出※

・研究会の症例検討会に自分の症例を提示するための認定医によるマンツーマン指導※

・研修医同士声を掛け合って立ち上げた勉強会での症例検討※

・シンポジウム司会※


などなど…

色々なことに挑戦した1年間でした。


特に※印の出来事では自分の実力のなさを思い知り、何度となく灰になり、ボコボコにへこまされました。


・アメリカの獣医師会に所属してみる

なんてことにも挑戦しました。

学会に参加することまではできませんでしたが、手に入る限りの文献を手にして、読んで読んで読みまくる!

それで感化されて(得意になって)それをお手本にレポートを書くと『英語の文章の下手な翻訳みたいで読みづらいんじゃい』と一蹴されるっていうね…

当たり前ですよね。

初学者にありがちな誤りを何度となく繰り返した1年でもありました。


でも、

それを指摘してくれて根気強く指導してくれる先生や仲間ができたこと

これこそがこの1年で得た宝物と言えるのではないかなーと思っています。


もちろん、こうした勉強へのモチベーションを与え続けてくれるのは、行動クリニックの扉をたたいてくれた飼い主さんたちです。

一緒に悩み、考え、試し、評価することをコツコツと繰り返してくれた飼い主さんとそのわんちゃん、ねこちゃんたちのおかげなのです!!

この感謝は決して忘れられるものではありません。


そして、その飼い主さんとペットの健康を支えてくれたかかりつけ病院の先生方。

時に突然お電話をしたり、メールをしたり、飼い主さんにノートを持ち込んで記録をお願いしてもらったり、直接的・間接的に・また微妙に私と関わらねばならなかった獣医さんたちにも、心からの感謝を。


中でも、大学卒業以来ずっと支えてくださっている十勝の小動物開業医の先生方とのつながりは、コロナなんぞに負けない強固なものでした

飼い主さんと一緒に病院に伺っていいですか?

という図々しい要望にも

いいよいいよ〜。久しぶりやな〜元気やった?

と笑顔で応じてくれる先生方ばかり。


しょうこ先生、自分の猫のことで聞いていいですか?💦

と連絡をくれる勉強熱心な獣医さんもいました。

ご自分の猫ちゃんの行動の意味を知り、「行動学ってすごいですね!」と言ってくれた若い先生。

この言葉が今年一番嬉しかったかもしれないなあ。


そんな風に周りの人に助けていただきながら挑戦権を得て初めて受験したのが9月に行われた獣医行動診療科認定医試験でした。

これはもう※印どころやない。

死ぬかと思うほど緊張しました。


一次試験にギリギリ通過して、受験できた二次試験はオンラインでの筆記試験と面接でした。

合格点に達したら合格。

単純なものです。資格試験ですから。

しかしですね。これがもう、難しい。自分との戦いやね。

初めての挑戦は残念ながら不合格となってしまいました。

それでも、出題者に語りかけられているような受験の時間というのは、至上の指導であったと思います。


何より言えるのは。


M-1 よりはマシ!!!


ってことです。M-1 ですよ、皆さん。ご存知ですよね?

一番面白い漫才をした人だけが勝ち取ることができる栄冠です。

決勝の審査員コメントが認定医の先生方のコメントとダブって見えたのは私が頭おかしいからでしょうか、多分そうです。

常に新しいことへの挑戦を続け、辛辣な評価にもめげずに立ち向かう漫才師たちの姿は涙なくしては見られません!!

今年も本当に励まされました。

ハライチ最高!!


はい、ありがとうございました。岩井さんのファンでございまして。


認定医試験は来年も行われます。

この一年の成長をもって、お応えせねば!

試験勉強をすればするほど、知識は確かに自分のものになるということがわかります。

それはすなわち、行動診療のレベルを上げ、より飼い主さんと動物たちの幸福に貢献できるということです。


とはいえ、動物とは利己的なもの。

『受験行動』の本当の本質の動機づけと、強化子はなんなのか。

これは内なる欲求と、それが満たされる快感による行動と言えるでしょう。


行動の種類としては、

「トイレ行きたい」→『排泄行動』→「はースッキリ」

と同じってことですね。


「もっと深く知りたい」→『受験行動』→「はースッキリ」!!

これです。

「はースッキリ」が、緊張する、嫌だ、怖い、アホなのがバレる、といったような嫌悪的情動を上回るなら、今後も私の『受験行動』は強化され続けることでしょう。


行動を冷静に見つめ、

取り巻く環境全体をより良い方向へ変容させる(ゆっくりとね)


この仕事が心から大好きです。


2022年もまた、よろしくお願いいたします。




20 Dec 2020

(36)無事に取得のご報告

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


12月だというのに、まだ積雪ゼロの帯広市です。

昨年も雪不足に泣きました。雪がないと、何が困るか。


① 強風の日に、畑の土がとばされてしまう

② 雪で覆われた大地は冷却されにくくなる。雪がないと凍ってしまうため、冬を越せない植物や生物が増加する可能性がある

③ 校庭にスケートリンクが張れず、スケート授業ができない

④ 外遊びを楽しめない

⑤ 子どもが外で遊んでくれない

⑥ 母親にとって、冬休みの辛さが増す


ざっと挙げるとこんなところでしょうか。

しかし、気候変動を嘆いたところでどうしようもありません。

あるがままを受け入れ、いかに室内遊びを充実させて4人の小中学生に楽しく冬休みを過ごしてもらうかを考えることも子育ての楽しみと捉えるより他、ないのです。


部屋の模様替えをし。

できるだけ家具を壁に寄せて広いスペースをとり、馬跳びし放題にする。

体力づくりサーキットを推奨するなども良い。


図書館でどっさり本を借りてきて、工作三昧も悪くありません。

大人のプラ板作品の本にはマニアックな昆虫作品などが並び、トンボの翅なんかを作らせるとトレーシングペーパーにうつしとるだけで1時間ぐらいかかっています。しめしめ。没頭するがよい、娘よ・・・


サンタさんにパソコンを頼もうかななどと身の程知らずな願い事をしれっと口にする、空気読めない系の次男には、

『もしパソコンがもらえたら、どのように活用するか』

をウキウキと考え続けられるよう、プログラミングの本などを借り与えます。

そう。

手に入れた時の喜びより、『どのように手に入れるか』を考えているときのワクワクの方がよっぽど脳を活性化させ、楽しませることができるのです。


わんちゃんの問題行動を扱うときにも用いる手法です。

もともと、いぬもひとも、自分が楽しくなる方向へと動く方が簡単です。

「どのようにしたらいいことが起きるか」という方向へと向かう方が、力の向きとして無理がなく、スイスイと流れに乗ることができるようです。


「この行動はダメだよ。叱られるからね」

ということは、いぬにもひとにも教え、定着させることが難しい、ということがこのことからお分かりいただけると思います。


このことを目の前で見せてくれるのが、この写真のいぬと中学生の長男のやりとりです。

写真のいぬの名はすず。生後6ヶ月齢になるゴールデンレトリバーの男の子です。

我が家で飼育しているわけではなく、かつてこのクリニックにかかったことがある飼い主さんが2頭目として迎えることになったこの子が生まれる前に、ちょっとした面白い繋がりが生じて、生後6週から孫を預かるようにして成長を見守らせてもらっている子です。

この日は少し遠くにある郵便ポストまで散歩して、電話でお問い合わせくださった方に質問票を投函したのでした。


風が吹きとばした落ち葉に心惹かれて突如走り出すという行動は、おばあちゃん役の私が制御するには体力的にキツい、つまり問題行動と捉えられる行動であるわけですが、6ヶ月齢ということを考えるとその興味が生じるのは発達上正常なことであり、この行動はダメだよ、危ないからねと伝えることは簡単ではありません。

もちろん安全のために「ダメ」を教えることは重要ですから、彼には適切なトレーニングを今後入れていかねばならないでしょう。

とりあえずすずのおばあちゃんとしては、孫が正常な発達過程を経ている様をニコニコして見ている、といったところです。

お母さんが頑張ればいいやあ。

おばあちゃんとはこうしたもの。いいとこどりで、ニコニコと行動観察を続けることにします。


夕方、のんびりお昼寝しているところに子どもたちが帰ってきます。

玄関から入った子どもたちは、一旦部屋に入り、手を洗ってから診療室にいる私とすずのところへやってきます。


コンコン。

長男:「入っていい?」(引き戸を開ける)   

すず:ドアの前に行き、口を開け、四つ足で立ち尾は左右に大きく振られている

長男が入室。すずが長男に飛びつく(後肢で立ち上がり、両前肢は長男の胸のあたりに押し付けられ、口は長男の顔のすぐ下にある。口を開け、軽く噛むような仕草をする。長男はよろけ、ドアに身体を押し付けられている)


ここで、これまで何度もすずに手をがっちりと咥えられ、捻りあげられ引き回されるという目にあっている長男は、プチョヘンザップよろしく両手を頭上に掲げます。

すずはいったん手を咥えると長男を自由に動かすことができるのが楽しくて仕方がありませんから、なんとかその目的を達成させようと考えるようです。


まずは成功した経験がある行動を繰り返します。

一度で達成されなければ、次は強めに。ジャンプが加わり、ついにすずの口が長男の顎に到達します。

長男:「すず、やめて!」

ご覧ください。長男の手が彼の顔の前、すずの口が届くところに降りてきたではありませんか!

危うし長男!と忠告する間も無く、すずはついに長男の手を口に咥えることに成功しました。


この一連の行動は、すずが自分自身で、興味の向く方向、自分の中に生じた欲求を満たすために考え、学習した行動です。

よくやったと褒めてやるべきかもしれません。

しかし、長男にとっては痛みを伴う経験となりますので、ひとから見てこれは問題行動ということになるでしょう。


「ダメだよ、長男が痛いって言っているでしょう」

ということを教えるには、どうしたらよいでしょうか。

長男は、まだその答えが見つかっていないようです。


おばあちゃんは被害を受けていませんし、孫が可愛いくて仕方がないので、もう少し観察と実況中継をするのみで放置したいと考えています。

すずは、長男の行動が変化することで、行動を変容させることになると予想されます。

楽しみですね。


こうして子どもたちは雪のない冬休みを、おのおの楽しみを見出すことで自身の成長につなげてくれることと思います。


一方、私の楽しみはというと。

今もまさに、もうすぐ手に入るかもしれないという楽しみの真っ只中、と言っても良いでしょう。

でもそれは時折、「やっぱり手に入らないかもしれない」「手に入ったら入ったで、めちゃめちゃ大変かもしれない」という不安が入り混じる目標です。


それでもやっぱり、よりよい立場で働き、学べる道を与えてもらえたことは嬉しく、気が引き締まる思いです。

目標とは、日本獣医動物行動研究会の認定医の資格を得ること。

そして、その目標に近づく努力をしやすいように機会を与えてもらえる立場として設けられた「認定医候補」の審査を受けて、無事仲間に加えていただくことができました。


これが、10月の私の挑戦だったというわけです。

沼で溺死する道を選ばずにすんでよかった、というお話でした。


沼はとてつもなく魅力的なものをそこに湛えているのですが、これまでの私はひどく無防備な状態で入ろうとしていたようです。

もう一度その沼で遊ぶ前に、装備しなければならないことが、今はたくさん見えています。

安全に遊び、そこにあるものを正しく皆さんにお伝えすることができるようになるまで、体力づくりその他、やらなければならないことがあるようです。


そのための模様替えだったわけですから。

地道なサーキットトレーニングに没頭しようと思います。





7 Nov 2020

(35)獣医動物行動学とトポロギー心理学の融合

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。



約半年ぶりの投稿になってしまいました。


こいつ、勉強サボってたな…


と思われても仕方がないですが、実際はそんなことはないんです。

インスタグラムでご確認を! @jiu.abc ですー。


勉強帳ですから、勉強の記録にしようというところから始まっておりまして、一つのまとまりが得られたら書き留める、という使い方をしていた訳なのですが。

6月以降、少し深みにハマりまして。

ちょっとやそっとで抜け出せない沼に行きあたったために、面白すぎて出てこられなくなってしまいました。

現在は一旦長靴やらつなぎやらを脱いで洗って干して一休みしているところですが、常に引き寄せられるものを感じながら過ごしています。


その沼とは、クルト・レヴィンの「トポロギー心理学」です。

クルト・レヴィンはナチスが台頭する少し前からドイツのベルリン大学で「ゲシュタルト心理学派」として活躍していた心理学者です。

レヴィン先生はユダヤ人だったため、のちにアメリカに渡ります。

時代背景から想像できることですが、心理学者として社会主義と民主主義について強い関心を持っていたようで、数々の興味深い心理学実験手法をあみ出し、社会心理学と言われる分野を開拓していった偉大な心理学者となりました。

残念なことに、これからというときに50代の若さでこの世を去ります。

しかし、彼は多くの業績を論文にまとめ、それを出版していました。また、彼の没後に妻がまとめた本もあります。

最近復刻されたこれらの書物が、今後大いに注目されることを密かに願う一人がこの私です。


研究論文を編纂した本、なのですが、読んでいると不思議な感覚に襲われます。

なに、この文語調。あ、昭和32年の本やからか。・・・


いや、そうじゃなくて。

理論は難解で、何度も読み直してやっと理解できるという内容なのですが、腑に落ちたとき、「確かにこういう書き方しかできないわ!」という納得が毎回訪れるのです。

もうちょっと簡単に書けるやろ、というツッコミを入れられる本というのは世の中にたくさんありますが、要するにそれは練られていない文章なのだろうと思います。

難解なのに、まるで目の前でレヴィン先生が講義をしているような、肉声の温かみが伝わってくるような感覚になるのです。


教科書なのに。

人柄が滲み出るなんて。

実際、その人物像について語られた文献もあって、非常にリーダーシップを発揮するのが上手な方だったそうで、彼の教え子にも独創的なアイデアで心理学を切り拓いた研究者が多くいたそうです。

私もこの方の弟子になりたかった!!

そんな気持ちさえ起こさせる人物に、時空を超えて巡り会えた喜びに打ち震えながら満面の笑みで泥にまみれていた夏でした。


微妙に話が逸れていきましたが、そもそもの勉強内容に話を戻しますと、このレヴィン先生のトポロギー(トポロジー)心理学が、実にちょうどいい。

人間の発達心理学を取り扱う学問ですが、もともと行動学は心理学の流れの中にあります。

心理学の潮流の中に行動主義心理学が生まれ、実験心理学が盛んになりました。これは、あやふやなものを扱う心理学という学問分野において、実験室での科学的な分析を可能にした輝かしい発展でした。


目に見える行動に真摯に向き合い、嘘で塗り固める可能性を一切排除することに成功したのです。人々はその成功にしばし酔いしれたようです。

科学者としては、本当に嬉しいことだったろうと思います。心という目に見えないものを扱う分野である心理学は、どうも嘘っぽくなりがちです。

実験結果をグラフにし、条件を一定にして再現性を高めた研究ができる科学分野は、論文の構成も簡潔です。事実を事実として述べ、考察でオリジナリティと次なる課題について大いに語るという形式です。


目に見えない心の動きについて科学的に述べること。

それは不可能のように思えました。

なぜ不可能に思えるか。それは、こういった概念を説明するためには、並外れた文章構成能力が必要とされるからです。そして豊かな経験と客観的な視点。事例として取り上げるべき事象を選択する力。

レヴィン先生は、これらに加えて『別の言語』を用いることを思いつきました。

『別の言語』すなわち、数学です。


数学は、ひとが最も長い時間をかけて習得する言語なのだそうです。

母語の獲得は、ひとを考える動物にしました。思考はうちなる声が生じて初めて可能になるのだ、と言われます。

(ゲシュタルト心理学派や一部の哲学者はそのあたりをちょうど疑問視していて『無言のコギトは存在するか』という命題に挑んでいます。こちらも大変興味深いところです)


レヴィン先生は、「やわらかい数学」と言われる「トポロギー」を使って、心理学的な事象を力学的に説明してみせました。

ヴェクトルを使って、心の動きを説明したのです。


これは大変わかりやすく、行動診療で出会う症例を動物だけを対象としてみるのではなく「飼い主さんと、その動物」として見たとき、まさに

これやーーーー!

という感覚を与えてくれました。


早速応用。

ちょっと視点を変えて見てみるだけで、なんという面白さか。

これはもう、行動診療に旋風が吹き荒れるのでは?!などと浮かれた考えまで浮かぶ始末。


そうしていいだけ泥遊びをして、一旦きれいにして獣医動物行動学の世界に戻ってきました。

10月に症例のレポートをまとめるミッションがありまして。

さて、この新しい視点を盛り込むべきか。診療成績を考えると、決して間違った方向ではないと思えます。


しかしですね。

ここは綺麗さっぱり泥を落として、獣医さんに戻ってきたわけですから、やはり基本に立ち返り、獣医動物行動学の理論をもう一度おさらいし、これに沿ってレポートの作成をやってから考えるべきだろうと判断しました。

そして、それは正しかったようです。

改めて獣医動物行動学の教科書を読み込んでみますと、やだー、ここにも良い先生がいらっしゃるじゃない!しかもまだ生きてる!!


やっぱりね。何度も読んだ教科書ですが、以前はちゃんと理解できる状態に自分自身が至っていなかったんだな、と思いました。

今だから理解できる著者の真意、というものが今回ようやく見えた気がしたのです。


レポートは、日本の若き精鋭たちが磨き上げた理論に基づいて作成されました。

評価はまだ出ておりません。ここまで書いてハネられたら、黙って沼に戻って溺死するしかないかな、と思っております。


人生何事も挑戦ですね。

開業とともに掲げた目標は、「浪人時代の自分を超える」ことでした。

自分史上最高の学力を維持していたあの頃の自分を超えてやる、という決意で、開業2年目を迎えました。

現在の実感としては。超えた・・・か?な?どうだ?


40代は勉強したい盛りのようです。このまま勢いに乗せててくてく歩き続けたいものです。

飼い主さんたちにも、勉強したい意欲に無駄に燃える人たちが、気づくと周りにたくさん。

座学+レク で構成される、『お山歩会』が盛況です。


秋の緑ヶ丘公園で地味な試みがスタートしました。

ヴェクトルが、はっきりと見えています。









16 May 2020

(34)保育の先生。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


「母の日」でしたね。

休校中の娘(小3)を連れてスーパーに買い物に出掛けた時に、花屋さんの前で小銭を握らせて、赤いカーネーションを買ってもらいました。

私は別会計で、ピンクと白のスプレーカーネーションを。

よく考えたら梱包材の無駄でしかない買い方でしたが。私は一応、亡き母へ、というつもりでした。


もともと、母の日に何かをする、という家庭ではなかったので、母に花を送るなんていうのはたまたま思いついた年だけやっていたような気がします。

父の日も同様で、「毎日が父の日やから。お父さんのこと考えない日なんて、ないから!」と言ってスルーしておりました。(多分こどもの日に同じことを言われて育ったせいだと思います。)


そんな母が他界して、6年になります。

自分がその母そっくりな性格だということもあって、母の存在は今も近くに感じることができます。子どもに対して子ども向けの対応をする人ではなかったので、自分が成長してからその人間的な魅力に感じ入ったものでした。

子育てに関しては、まーひどかったよねと姉と共有できる思い出がたくさん。

それも彼女が残してくれた立派な財産です。今は、おばあちゃんをそれほど知らない子どもたちに、お風呂に入ると指人形をつかって「よしこちゃんとさかえちゃん」というお笑いコンビに仕立てて登場させています。

さかえちゃんというのは私の大叔母で、同じく子どもの頃はただの怖いおばちゃんでしたが、内面は照れ屋で心優しい女性でした。


「よしこちゃんとさかえちゃん」には、いじわるなことを言わせます。

『あんた、今日おねしょしたらしいなあ。聞いたでえ。』とか言わせます。

子どもは私が言っているのに、指に言い返します。「うるさ~い!」

おばあちゃんの存在として、こういうのもアリなのかなと思っています。


子育てにおいては、遠くの親戚より近くの他人。

子どもを産んでからの私を最も助けてくれた人は、助産師さんと保育園の先生です。夫ももちろんよく支えてくれましたが、なんとも言えない安心感を与えてくれたのは、女性の専門家たちでした。


私は子どもを保育園に初めて入園させたとき、とても気持ちが軽くなりました。

ちっともうまくいかない子育てに自信をなくして仕事に逃げようとしていた自分を救ってくれたのは保育園の先生でした。

保育園の先生は、子どもじゃなくて、本当は子育てをする母親の先生なんだなと思いました。

先生は、第三者的視点を母親に与えてくれます。先生から見てこの子はどういう子なのか、また自分がいない時の子どもはどのように過ごすのかを事細かに毎日ノートに書いてくださいます。

そのノートのやりとりが、どれほどの支えになってきたことか。


保育園は子どもを預かってくれる場所です。子どもとべったりだった時間に余裕がうまれ、ようやく自分自身を取り戻したような気持ちにさせてくれます。

ですが、本当に大事なところはそこではなくて、子を育てることについて手取り足取り教えてくれている場所だったんだと思います。毎日の送り迎えのなかで、体調悪そうだね、大丈夫?と声をかけてくれたり、気づかずにイライラした声を出しているときにさりげなく手を貸してくれたり。

子育てを楽しむってこういうことなのか、ということを示してくれる存在でした。


どんな仕事も、石の上にも三年で、慣れるまでは時間がかかるものです。

子育てだって、知識も技術も必要な仕事です。向き不向きもあるし、諦めとか発想の転換とか、いろんな試練があります。そうやって親も成長するのだと思いますが、導いてくれる存在があるかないかでは大きく違うと思います。

それが保育園の先生でなくて、近所のおばあちゃんであったりお母さん友達であったりする場合もあるでしょう。私は恵まれているのかもしれませんが、ご近所さんもみんな子どもに気軽に声をかけて遊んでくださいます。

おじいちゃん、おばあちゃんがそばにいないことは寂しいと思うこともありますが、子どもと不器用母を取り巻く環境は温かく、この特殊な状態でも穏やかに過ごせています。


犬や猫を飼うということは、子育てと違わないのじゃないだろうか。

この考えを得たのは、やはり自分が子を持ってからでした。

私が学生の頃から、「ヒューマンアニマルボンド(人と動物の絆)」とか、ペットという言葉ではなく「コンパニオンアニマル」という言い方をしようじゃないかという動きがありました。

なんとなくそれは、ペット産業におもねるような、臨床獣医師として飼い主さんにそういう思いを持って接するべきであるというような考え方から出ているようにも思え、ずっと違和感を覚えていました。

かと言って、「犬も猫も所詮家畜であるのだから」という考え方も極端だなという感じで、そもそもなぜ私たちは犬や猫を見ると可愛いと思い、飼いたくなるのだろうかというところをもう少し掘り下げないといけないのではないかと考えるようになりました。


ある時、テレビでこんな映像を見ました。

サルの親子を襲うネコ科動物の映像でした。サルの母親はネコ科動物に捕らえられてしまいました。しかし、サルの赤ん坊は生きていました。

お腹を満たしたその大きなネコ科動物は、サルの赤ちゃんを口に咥えて木に登り、そばに置こうとしていました。それはまるでぬいぐるみを与えられた子どものようでした。どう見ても、「可愛がろうと」しているようにしか見えませんでした。

ナレーションも、動物に小さな生き物を可愛がりたいという気持ちがあるのだろうか、といったような内容だったと記憶しています。


そして、ここ数年で、前回も書きました菊水先生のお話を聞き、なるほどそういうことかとようやく府に落ちた気がしたのです。

小さきものを可愛がりたい気持ち、他者と愛着を形成したいと望む気持ちは、生物が進化していく枝分かれのなかで、相当昔に生まれた感情なのではないかと思えたのです。無脊椎動物であるタコにも、食べ物じゃないとわかっていながら、ヒトの手にそっと足を伸ばしてくるという行動があるようです。


私は前回も、菊水先生のいう「共進化」という言葉を使いました。

ひとは犬や猫を飼うようになったから、今の姿があるのだという考えです。ひとは、他者との愛着を持ち、それを守りたいと望むように進化してきたのだと思っています。進化の過程にそのようなつながりがあるとするならば、現在犬や猫を飼育していないひとたちも、彼らの影響を少なからず受けてこの世に生をうけたと言えます。


飼い主さんというのは、子育てに煮詰まった母親にとっての保育士さんのような、「犬育て」や「猫育て」に迷った時に助けてくれる先生がいない中でひとり頑張っているという状況があると思います。

欲しくて飼ったんでしょうと言われれば言い返せないだろう、と思われるかもしれませんが、親だって同じです。欲しくて産んだんだろうと言われても、母親は黙ったりなんかしません。


そんなこと知るかい。欲しいと思ったとき、その時はその時の話。


そしてこう続きます。

初めて子どもを抱いた時に、初めて新生児微笑を見て勘違いした時に、「はあ〜可愛い!」「産んで良かった!」と思ってしまったのよ、悪い?


ペットショップの店頭で、譲渡会の会場で、友人の家で、飼い主募集の広告で・・・。目が合った時、この子だと思った。一目惚れだった。運命を感じた。

そうやって飼い始めた子なのに今ひとりで大変な思いをしている、という飼い主さんを誰が責められるでしょうか?


子育てにはこんなにたくさん支援の手があるのに、考えてみればおかしな話です。

ひとと動物の絆とか、アニマルウェルフェアとか、必死に啓蒙を続けるひとたちがいても、世間ではまだまだ、たかがペットという位置づけでしかないことが問題で、犬や猫を飼っていない人も、進化の過程で犬や猫の存在が自分の存在に少なからず影響を与えたのだということを知ってもらう機会があればいいのにと思います。

犬や猫を可愛いと思う気持ち、小さな動物をなぜこんなに愛しいと思うのか、それはひとがひととして正しいことを選ぶために、祖先から引き継いだ大切な感情なのだと思っています。


多くの人がそのことに気づくために、獣医動物行動学は発展してゆくべきだと思っています。

微力ながらその一翼を担えると良いのですが。


今日は母の日がらみで熱く語ってしまいました。

母も私も、普段はこういうキャラじゃないのですが。この影響は、おそらくこの一年、行動クリニックで出会った飼い主さんとそのわんちゃん、ねこちゃんによるものでしょう。

個体の進化にも関わりがあるようです。考えてみれば当然ですね。

一番自然な考えに、結局のところ落ち着くのかなと思います。


みなさん、いいのいいの。自信を持って可愛がりましょう。

責任はあとから付いてくるものです。成長しましょう、ともに。





19 Apr 2020

(33)関係性の対比。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


開業2年目となりました。

よっこらしょと思いきって自分で作った台座に立ってみて、気づいたガタつきに修復を重ねながらバランスをとっている状態。

春夏秋冬を一度経験したぐらいでは、現状の比喩としてせいぜいこんなものでしょう。

自分で作ったものの上に、手すりなしで立つのは結構こわいものです。

自分を信用できないときは尚更。基本、自分を信じられない私です。忘れん坊ですし。


でも、ひとは信じて育つもの。自分のこともまずは信じて、頼ってみる。頼られるとちゃんとしなきゃと思いますから、ちゃんと評価するようになります。

一生懸命作ったんやから、ええやん。

ではなく、

あ、ここガタついてるな。これじゃまずいな、一旦降りてひっくり返してきちんと見てみよう。先生に直し方を訊ねよう。

直して乗って、またしばらくすると今度はわずかな傾きがあることに気づく。

また裏返して見てみる。


こんなことの繰り返しなんですね。

そのうち、同じように自分の台座の上にちょこんと座っているひととか、器用にジャンプしているひととか、ひょいっと私の台座に足をかけてにっこりしてくるひととかが周りにいることに気づきます。

それでまた、自分のことを省みたり、いつのまにかちょっとコツをもらって自分のものにしちゃったり。

大人って面白いなあ、と思います。


大人ってなんだろう。ということをよく考えます。

この勉強帳でも過去に話題にしましたが、犬がひととともに歩むようになってから生じた幼態化、「ネオテニー」という進化形態について考えるとき、常に思い浮かぶ疑問なのです。

生物多様性のこの世の中で、ひとはとても興味深い生き物だと思います。

タコもハチも同様に興味深いのですが。そっちはとりあえず置いておいて。


ひとは子どもと大人に分けられます。高齢者、という立場にもいずれ移行していきますが、ここは大人と一括りとします。

子どもと大人、違いを挙げてグループ化してみます。


① 動物的感覚を中心に生活する側、社会的分別を中心に生活する側

② 評価される側、評価する側

③ 依存する側、依存される側


前者が子ども、後者が大人となります。なります、よね?

さらに加えてみます。


⑤ 甘える側、甘えられる(甘やかす)側

⑥ 頼る側、頼られる側

⑦ 可愛い側、可愛いなあと思う側

⑧ 苛立たせる側、苛立つ側


まあ色々。まだまだ出てきそうですが、この辺で気づくことが出てくるので一旦御免。

これらは大人、子ども関係なく、どのような関係でもあり得る構図です。

そしてまた、犬や猫などのペットと飼い主、という関係においても成り立ちます。


⑨ 教えられる側、教える側

⑩ 褒められる側、褒める側


こんなもんにしておきましょう。

私個人としては、今すぐ全部、ひっくり返してもらいたい。私は大人ですが、

私だって褒められたい。

私だって教えられている。

私も多分、苛立たせている。

私もきっと、可愛いなあと思われるときもある。

私も頼っている。甘えている。依存している。評価されている。

私も動物的感覚で生きていて、周りに迷惑をかけることもある。


さて、大人ってなんなのでしょうね。

こうしなきゃ、と思ったらしんどいのがひとですが、それをドドッと強いられているのが大人なような気がしてきます。


前に反抗期について書きましたが、こういう葛藤に早めに気づいて反抗期にたくさん考えることができたら、この時期を成長にとって欠かせない時間、と言えるのかもしれません。


子どもの頃、20歳ぐらいになったら自然と自分も大人になるのだろうと思っていました。確かに、19歳ぐらいから自分の行動と周りの関係が見えてきてこうしたいという欲求を上手に提示したり、先のことを考えて抑制したりすることができるようになった気がします。

子どもの頃はできなかったことが、大人になってからできるようになることは、あると思います。

でも大人になろうが変わらないものも、たくさんあるのです。

そこを、もっと自覚してもいいのじゃないか、と思います。


関係性の対比。

家族や子どもやペットとともに暮らすことは、そのことについて考えさせてくれます。

そして、大人も甘えたり、頼ったり、よしよししてもらったりすることを叶えてくれます。

教えたり、評価したり、苛立ったりしている自分に気づき、そう言えばこんなことばっかりやりたいんじゃなかったわ、ということにはたと気付かせてくれます。


そして、「ダメだよ」を「ハイハイ、わかったから」に変えてみる。

ごりごりに評価するのはやめて、受け入れてイラッとしない行動を相手がとりやすいように、考えてみる。


行動治療というのは、基本的にこういうことです。

ついでに、自分も甘えちゃう。新しいことを教わって、楽しい気持ちになる。好きなひとと共有して、可愛いねって思ってもらう。ちゃんとやってて偉いね、って褒めてもらう。

子のしつけ、犬のしつけは私の仕事!!だからやらなければ…!

ではないのです。

この動物的感覚を基本として生きる方針を決めているものたち。

彼らを可愛がりつつ、自分も可愛がっていただくにはどうすれば良いか。


自分のことを中心にものごとを考えることは楽しい作業です。

自分の気持ちだけは、自分で分かりますから。

だから、行動治療は楽しんでやっていただきたい、と思っています。



2年目も、台座が壊れないように。

さらに頑丈になるように。カビたり錆びたりしないように。

同じ姿勢でばっかり座って、変なところが痛くなったりしないように。

上手に周りに甘えて、続けていきたいなーと思っております。

ときどき、褒めていただけるとなお嬉しいです。


皆さまも、おうち時間を前向きに、大切にお過ごし下さい。







19 Mar 2020

(32) 「なんで?!」と言いたい気持ち。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


3月初めにHOMEの更新はおこないましたが、勉強帳の更新はずいぶん期間があいてしまいました。

理由はふたつです。

① 新型肺炎の影響で2月26日から道内の小学校の休校が決まったこと

② インスタグラムの投稿に意識が寄ってしまっていたこと


これは本当に困ったことです。いや、インスタグラムの方です。

主にその日の行動カウンセリングのお話や、子どもの行動から気づくことなどを簡単に絵に描いたり短い文章を書いたりしていますが、自分の気持ちや知識を整理するツールとしてとても優れたシステムだなあと思います。

緩やかに繋がるひとたちがクスッと笑ってくれたら嬉しい。

へえ、こんなわんちゃんがいるんだ、こうして良くなっていくんだということを知っていただけたらありがたい。

そしてまた、私も勉強会や仔犬教室でお会いした方々の日々の様子を見せていただけることがとても楽しいのです。苦手だと聞いていたお散歩に行けてる〜!というのがリアルタイムに分かる喜び。

たくさんの出会いが本当にありがたいなあと思える日々です。

インスタグラムで文章を作ってしまうと、頭が満足してしまうので勉強帳の方を書こうという気分になかなかならなくてですね。困ったことです。

でもこちらはこちらで、じっくりマニアックに思考を深めることができる場ですので、月に1度ぐらいは更新したいなと思っています。

よろしければ、インスタグラム(@jiu.abc)もご覧になってみてください。


休校に関しては、世の中いろいろありますが、こんなこともあるんだなあというケセラセラの精神で、風にしなる柳のごとく受け流しています。

次男が音読の課題に選んだ黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん」を聴いていると、この子たちはもうすぐ戦争で学校が焼けちゃって、学校に行けなくなるのみならず、友だちや肉親とも離ればなれになって暮さねばならない日々がすぐそこまで来ているんだ…と思ってかなしくなるのですが、自分の興味の赴くまま、いつもまっすぐなトットちゃんと、それを見守り子どもの伸びやかな感性にまかせて成長を促す小林校長の教育法を面白がっている息子を見ると、良い本だなあと心から思います。

言葉がいいんです。文体も、装丁も、素晴らしい。挿絵はいわさきちひろさん。

10歳で読む本としては、ぴったりです。

特にこの次男には、ぴったり。


インスタグラムではお馴染みになってきている「#いぬエイスケ」は、なかなかの問題行動満載男児です。

この勉強帳でもときどき触れてきましたが、この10歳児の行動というのは犬の問題行動、猫の問題行動を考える時に、なぜか同調して思い起こされることが多いのです。

かんしゃく、甘え、主張、暴力。

楽しい、つまらない。

勝ちへのこだわり。

ベースにある感情や体調によって、許せるか許せないかが決まる。

必ずしも怒りの対象に行動の鉾先が向くわけではないという人間(動物)の行動の在り方が、とてもよくわかります。


トットちゃんを読むことがこの子自身にとって何がいいかと言いますと、「わあ、へんな女の子がいるな!」と言っちゃえること。

そして、その変な女の子が優しい両親や優れた教育者との出会いによって、自分の変なところも変だなんてちっとも思わずにお友だちとのやりとりを楽しみ、日々成長していく姿を感じて、自分もこれでいいんだと思えること。

トットちゃんみたいな学校だったら良かったのになあと羨ましく思うこと。

時代背景の描写を読んで、「やっぱり自分は平和な時代に生まれてよかった」と思えること。

友だちや愛犬を亡くした時のトットちゃんの気持ち、周りの大人に対する子どもなりの気遣いに共感すること。


ひとは本を読むことで、経験していないたくさんの感情と出会うことができます。まだ語彙が少ないので、感想文を書きなさいと言っても上手には書けません。ちゃんと読んだのか?ということを外から評価しづらい時期です。

でも音読の課題なので、声のトーンとかでね。気持ちがなんとなくわかります。ああ、入っていってるな〜と思えたら、それでいいんだろうなあと思います。

面白いのは、周りで聴いている兄妹の反応です。

読み聞かせもまた、黙読以上の効果をもたらします。それを勝手に次男がやってくれているわけですから、弟妹の宿題の手が止まっても見ないふりをしています。

読めない漢字に行きあたって、お母さんこれなんて読むの、と言う次男にイラッとしている様子の長男を見ると、まんが読んでたけどコイツ、聴いてたな…。

と思ったりします。


こうして、昭和初期の小学生生活を疑似体験する時間を過ごし、休校というこの異常な事態も結構すんなりと受け入れている兄妹です。

私もちょっと早めに春休みがきたな、ぐらいに受け止めて、仕事のやりにくさをそのせいにしないように、長男に料理の腕をあげさせて手を抜き、ゲームしたいならお仕事すればいいやんということで、あとの3人にも洗濯物を畳んだりお風呂掃除を任命。

おいしいね、気持ちいいね、助かるねで一生懸命やってくれます。

(私もこれぐらい褒めてもらえたら、やるんやけどな)

ちょっとこれ、学校がある時より助かりますやん…。

そんな風に自分中心に考えてしまう悪い母親なのでした。


そんな#いぬエイスケ の音読カードには、毎回保護者の印を入れる欄があります。トットちゃんの音読カードは、これまでの彼の行動遍歴を描くことにしました。自分のことを絵に描いてもらうことが、子どもは大好きです。

ある意味、自虐ネタになっていても、ものすごく喜びます。

なんでしょう。自分に関心を払ってもらえたという体験が、ここまでの効果を生むのかと感心してしまうほどです。


それほど、問題行動事例に事欠かない少年E。

おかげで、色んなことを試してみるきっかけを与えられました。ノートを作ってみまして、叱った時に反応がおかしいときにお互いの気持ちを絵に描いてみたり。そうすると、まあこちらの気持ちは伝わっていないということがよくわかります。

彼は勝ちをおさめたいわけですから、怒ってるんですね。そしてこちらも不完全な人間ですから、キーってなってると、結局思いは同じです。勝ちたいです。そして容易に勝ちにもちこめます。ハイ、お母さんスッキリ〜。

ここで子どもが傷つき、「学習性無力」になるまで持ち込めば、完全勝利ということになるのでしょうか。恐ろしい事象ですが、自分の中にその資質が隠されていることを感じます。

恐怖支配の歴史から負の側面を十分に学んだ我々は、そんなことしちゃいけません。

子どもに負けを認めさせるのではなく、叱られることが「親からの宣戦布告」ではなくて「教育」であり、根本は「愛情」であることを知ってもらう必要があります。その都度、です。なかなかこれは10歳の子どもには理解できないので、その場その場で何度もお知らせしないと仕方がないようです。


そこに思いが至った時、ああ、犬も猫もそうなんだな、と思いました。

怒りは恐怖に打ち勝つ強力な情動です。飼い主さんにしかられると、動物はきっと恐ろしいと思うでしょう。怒りの情動によって自分を守っているのかもしれません。

ノートを作って自分を振り返らせたり、他人の思いを想像させるような関わりは、動物とひとの関係に合うやり方ではありません。

でも地道に、これはね、教育であって、根本は愛情なんだよ、と伝えることはできると思います。

それが、行動療法の第一歩です。


そして、音読で得られる豊かな情動の疑似体験。

これは根拠のない個人的な考えですが、犬や猫にとっては「お散歩」がそれに近い体験を与えてくれるのじゃないかと思っています。

お外が怖い子には当然おすすめはできません。怖い理由を考えてあげるところから始めるので、必ず散歩に行かねばならないということではありません。

お山歩きという取り組みをしている先生がいます。愛媛県で開業していらっしゃる先生ですが、とても素晴らしい内容なので、いいないいなとしつこく言っていたら、すごく詳しく教えてくださいました。

これは是非、実践したいと思っています。心を解き放ち、感じて育つペットの姿は、飼い主さんにとっても新しい発見にあふれた楽しい体験になると思います。


さて、10歳児の話にもどりまして。

そうやって取り組んでも、なかなかかんしゃくのタネは尽きないようで。

昨夜も、お風呂に入っていたら茶の間から言い争う声が聞こえました。

「なんで!」

「だから、なんで!」

怒ってる怒ってる〜。

最近は素直に甘えてくるようになって、楽しい時の笑顔がとても輝いていて、怒っちゃった時も静かに話しかけるようにすると自分で落ち着くことができるようになってきた少年Eですが、この怒り方だけはしょっちゅうやるなあ。

「なんで」と言ってしまうときの気持ちは、また別なのか。

本人に尋ねると、「納得いってないから言っちゃう」のだそうで。

その主張内容がめちゃくちゃだったりすることもあるのですが、まあそれも含めて納得いかないのでしょう。


ほら、飼い主さんは君が好きだよ。楽しいと思えることは、何?

私や、飼い主さんが望むような方向へ行動が変容していかない子は、その子なりに「なんで!」って私たちに言い続けているのでしょうか。

納得したいことは、何なのでしょう。それを見つけることができたら飼い主さんも動物たちもすっきりできるのではないかと思うのですが、それもおこがましい考えでしょうか。


教育と寛容。


もう一回、トットちゃんを読んで考えようと思います。







13 Feb 2020

(31) ロゴマークのこと。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいしょうこです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。



少し寒さが和らぎましたね。

今日のクロスカントリーは暖かくて快適でした。


自分の足の毛をかじかじと短く刈り込む技術がここ半年で熟練を極め、皮膚に損傷を起こさない程度に落ち着いてくれてはいるものの、すっかり足だけ夏仕様になっている柴犬、のんのさん。

時折攻撃行動が出てしまうこの子の特性をよく理解し、心から可愛がり、私と話す時間を大切に思ってくださる飼い主さん宅へ往診に行った帰り、スキー一式を無料で貸しだしてくれる「はぐくーむ」に寄って1時間ほど雪原散歩をしました。


気温は0度ぐらいでしたでしょうか。

少し歩くとぽかぽかしてきて、マフラーを外し上着を一枚脱ぎ…一人もくもくとコースを進んでいると上手な人に目が行きます。

こちらはクラシカルな溝の底を磨いているだけで内腿が吊りそうだというのに華麗にスケーティングしていくベテランスキーヤーたち。ええなあ。腰がちゃうわ、腰が。


少し前にすれ違った紳士が、後ろから戻ってきました。


「携帯落とさなかった?」

ハイ。私です。


あぶないところでした。あとで気づいて自分の番号にかけてみたところで、キツネが気づいて避けるぐらいのもんだったでしょう。


のんのさんの飼い主さんとお話ししたこと、一般的な「動物の行動を無理なく変容させる理論に基づく行動療法」が時には飼い主さんにも犬にとってもストレスになることもある、その子の特性にあった方法が見つからないのなら、その子が望むものを与えてやり、日常の葛藤を減らすことを最優先に考えることが一番の行動療法だよねというお話を噛み締めながらのスキーでしたが。

携帯以外になにか取りこぼしていないか、改めて考えてみようと思いました。



このところ、インスタグラムを楽しんでいます。

私は10年前に飼っていた猫が亡くなってからはペットがいない生活を送っています。

家に犬がいる生活、猫がいる生活は、いない生活とまるで違うものです。

1日の日課が違います。時間の流れ方も違うでしょう。どちらがいいということではありません。

ただ、違うのだと思います。


先日、仔犬教室をグループで受講してくださった方々がいらっしゃいまして、ウェルシュ・コーギーをこよなく愛する皆さんです。それぞれに犬との生活を楽しみ、ご自分の仕事や家のこと、子育てなどをされています。

インスタグラムを通じて、飼い主さん同士の交流をのぞかせていただいていると、ひととしての思いやりあふれるやりとりを目にします。やっぱりペットを飼うって素晴らしいことなんだなあと、彼女たちから教えられているような気がします。



昨日、インスタグラムにクリニックのロゴマークについて書きました。

11月の開院に合わせて完成したロゴマークとロゴデザイン。

開業当時は、素晴らしく美しい文字を書く元動物看護師の友人にご協力をいただいて、私のイラストと彼女が書いてくれた名前ですてきな名刺を作って使用していました。その名刺も気に入っているのですが、ロゴマークがないことが気になっていました。

名刺もできたし、絵を描くのも好きなので作ろうと思ったら自分で描けばいいやん、と周りにも言われましたし、自分でもそう思わぬでもなかったのですが、実際思いつかないんですね。一切。

それはなぜだろうと考えたときに、「理念があやふやだからだ」と気づきました。


起業には、理念が必要です。

どこに向かいたくて独立するのか。はっきりした形がなくても、こちらの方向に向かっていきたいんです、と目線を遠くに置くということはとても大切なことだと思います。

自分で思うことを書き出して、いわゆる「コンセプトメイキング」をしてみなくちゃと考えました。


そこまできて、私はクリエイターという職業の方と関わりたくなりました。

自分の仕事は飼い主さんとカウンセリングをすることです。いつもカウンセリングをする立場なので、デザインを依頼するとなると、私がカウンセリングしてもらう側になるということです。

私というひとりの起業家を分析して、客観的に見てもらうことで方向性が定まり、結果的に仕事がやりやすくなるのではないかという漠然とした希望がありました。


そんな時に、行動診療ノートとして使おうと考えていた商品を注文したショップの店主とメールでやりとりする機会がありました。その丁寧な対応と温かみのある文章でこの人絶対ええ人や〜と思っていたところに、実はパートナーがロゴマークのデザインを請け負うクリエイターで、という話がでまして、このタイミングでこんなことある?と半ば驚きつつ、それでは一度面談していただきたいと申し入れました。


他にクリエイターの知り合いはいません。初クリエイターです。

ロゴマークのデザインは、今やネットでお手頃な価格でコンペをして、5つぐらいの中から選ぶ、なんてことも可能な時代です。

それに、大きな会社の場合は、複数のデザイナーに同時に相談をして見積もりを取るなりコンペを開催するなりして比較検討するということも当たり前に行われているものなのかな、とも思いました。


私は、縁という不思議な巡り合わせにときめく方です。「運命の恋」とかには全然ときめかないのですが、「縁」には妙な昂りを感じます。これまで出会ったひとはみんな、いいこと悪いこと含めて今の自分を導く要因となっているわけで、これは彼らと自分の間に「縁」があったからだと言えます。

ロゴマークのデザインをお願いするのは、この「縁」を感じる相手であることが理想だと思っていました。

先の、手作り名刺を一緒に作ってくれた元看護師さんとも深い縁があったから、最初の名刺づくりにご協力願ったのでした。

 

そんなわけで、他のデザイン関係の業者やサイトとは一切関わりを持たないまま、最初の面談の日を迎えました。

でもこの時点で、もう他の人選ぶのも面倒くさいしこの人でいいや、などと思っていたわけではありません。

自分の仕事をイメージとして正確に捉えてくれたら、きっと言ってくれるだろうと予想されるワード、というものがあって、初対面でそのワードを言ってくれたら迷わずこの方に依頼しよう、ということを心に決めて、面談に臨みました。

メールでやりとりしてくださったショップ主さんも一緒に居てくれて、私がなんとか捻り出した理念のようなもの、仕事の具体的な内容などを短い質問を挟みながら聞いてくれました。


おー、これがカウンセリングを受ける気持ちかあ〜、楽しいなあ、と思いながら多少ええカッコしてお話しして、さあ言ってくれるかしら、と思いながら言葉を待ちました。

やはり「縁」があったんですね。さらりと待っていた言葉を言ってくれました。


「行動診療というものを初めて聴きましたけど、お話を伺っていたら、ぼくらの仕事と似ている気がします」


はい。合格!


私がクリエイターとの関わりを求めていたのは、異業種でありながら獣医師よりも自分に近いかもしれない方々だという認識がどこかにあったからだと思います。クリエイターが書いた本には共感できる内容がたくさんありました。

クリエイターさんの方もそう思ってくれるなら、私の感覚は間違ってなかったんだと思えます。だからその言葉を聞きたかったのかもしれません。もっと言えば、その方がカウンセリングをする中で私が言って欲しい言葉に気づかれたのかもしれないですね。そういう技術を持った方だった、とも言えます。


どちらにしても、それで私の心は決まりました。どうぞ導いてくださいという気持ちでデザインの完成を待ちました。

最終的にデザインが決定するまで、5ヶ月かかりました。形は最初のプレゼンでほぼ決まっていたのですが、細かい修正などあれこれと面倒な要望を聞き入れてくださって、開院の日に間にあわせるかたちで無事納品となりました。


最初のプレゼンテーションは衝撃でしたね。

面談から約1ヶ月半ぐらいだったでしょうか。デザイン案ができましたという連絡がきて、ワクワクしながら資料をめくってもらいました。

その説明資料には、クリエイターさんがデザインを形にするまでに考えたこと全てが書かれていました。

私の仕事からイメージする言葉。場面。向かうべき方向。私自身のイメージ。十勝という場所のイメージ。

そしてそこから生み出されたデザイン案がいくつか。


ロゴマークって、こんな風に作るものなんだ、ということも衝撃でしたし、自分の頭の中で考えたことをクライアントに示すという行為の重要性をはっきりと意識させてくれました。見事に私に自分自身を客観視させてくれたわけです。

クリエイターの仕事はディレクションである、と言ったりします。ディレクションとは、誘導するという意味です。

まさにデザインで、私が自分でも気づいていなかった自分の希望がある方向へ向かわせてくれたという実感を得ることができたのでした。



そうして完成したロゴマークには、今も導かれています。


「カウンセリングしている獣医師と飼い主さんとその間にいる小さな動物」

「わんこの顔」

「家族とペット」


見る方によっていろんな見え方ができるロゴマークですが、ひっくり返すと「!?」になります。

写真のように横に連ねると、「なんでだろう?」から「カウンセリング」を経て、「そうだったのか!」という気づきにつながるという流れを示してくれます。


この流れは、飼い主さんにだけでなく、私自身にも当てはまります。

なんでだろうからそうだったのかを獣医師と飼い主さんが完全に共有できる。これは、実際の治療者が飼い主さんであるという行動診療ならではのことです。


冒頭の柴犬、のんのさんもそうですが、行動治療によって全てが望ましい方向へ向かうというわけではありませんが、できればともに「気づき」という体験まで至りたい。そこから生み出されるものが必ずあると思うからです。


仔犬教室の締めくくりは、「クリエイターになろう」です。

導くのは私ではありません。飼い主さんなんですよ、ということをお伝えしたいと思っています。


そんな中、コーギー仲間の皆さんによるグループでのカウンセリングから症例検討までやってしまおうという試みが立ち上がっています。このような導きも、飼い主さんとのご縁から生まれました。

さて、これをどのように広げていくか。

今日もロゴマークをじっと見つめて、考えています。







28 Jan 2020

(30) 反抗期と自己表現。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。



ようやく冬らしい冬が列島にもやってきたようです。それでも例年に比べれば暖かいですが。

先日、早朝5時すぎに家を出て十勝川の河口まで行ってきました。

ジュエリーアイス、言うらしいです。皆さんご存知でしたか。私は十勝に足かけ25年暮らしていますが、初めて聴きました。

十勝川でできた氷が海に流れて砕けたものが、大津の砂浜に打ち上げられ、朝陽が当たると宝石のように輝いて、それは幻想的な光景が見られるということで。まあ見に行くだけなので、お手軽ですやんというわけで出掛けてみました。


気温は零下20度近かったと思います。鼻毛が凍るラインを超えていたので。

睫毛が凍るのが25度ぐらいですから、そこまではいっていなかったと思います。

ま、寒かったですね。波打ち際に立ったことがない子どもたちは波がざばーんと来る様子を見る方が楽しかったようです。ジュエリーはほぼ無視でした。

波に盛り上がっている間に水平線に漂う雲の隙間から朝陽がさしました。

ジュエリーアイス、綺麗でした…



さて。

前回ご紹介した猫ちゃんのお話を、先週の十勝の開業医の勉強会で発表させていただきました。

他の症例もまじえて、「行動治療が効くしくみ 実践編」。

勉強会の先生方は皆さん本当に熱心で、私のような若輩者の偏った理屈も興味深く聴き入ってくださいます。嬉しかったのが「自己表現したい猫」の存在を肯定的に受け入れてくださる先生がいらしたことです。

帯広のにゃんこ先生と言えばご存知の方もおられると思いますが、日々の診察でも意識されていらっしゃるとのことで、自分の症例をきっかけに考えをお聴きすることができて良かったと思いました。

ひとりで悶々していてもダメですね。練りに練った理論なら、恥ずかしがらずに周りにぶちまけて意見を乞う勇気を持たねば。


そうジュエリーアイスに誓った朝でした。

(嘘です。誓う間もなく休憩所に逃げこみました)



猫の話に終始していますが、自己表現したい欲求、人間にももちろんありますよね。だから動物にも無意識にあると考えてしまうのでしょう。

そしてそれが猫にあるのなら、おそらく犬にもあるのでは、となります。

しかしもちろん、犬の問題行動の診断名にも「葛藤:自己表現ができないことに関する」という診断名はありません。

でもこれきっとそうだよな〜と思われるいぬが、記憶の中でやはり何頭か思い当たります。


そのいぬ達の行動は、あたかも子どもの反抗期のように見えます。

反抗期ってそうですよね。自己表現がうまくできない葛藤による様々な行動の表出と捉えると、とても納得がいく気がします。


反抗期を辞典で調べると、このようなことが書かれているようです。

『人間の成長・発達過程には、親、年長者あるいは既成の価値体系を拒絶、否定、無視し、激しい怒りの感情を表出したり、破壊的・暴力的な行動をひきおこしたりすることが目だつ時期がある。この時期を反抗期というが、否定的行動が多彩に現れるので否定期と呼ぶこともある。いずれも自我意識の発達に伴う自立・独立の欲求の高まりがその背後にある正常な現象であり、人格発達上重要な意義をもつものである。(世界大百科事典)』


え、つまりどういうことなのでしょう?

難解な言葉を並べていますが、結局どういうメカニズムなのかは書かれていないですね。これを読んだ親はおののくだけです。


要するに葛藤行動なわけですよ。

人格発達上重要な意義があるという点に異論を唱える気はないですが、いわゆる「反抗期あった・なかった」という議論、あった方がいいだの、なかったら自立できひんだのとごちゃごちゃいう必要はないのじゃないか、と私は思っています。


そもそも、家畜化の歴史の中で、ネオテニーという進化を犬と共有しているのがヒトです。

ネオテニーというのは、「幼態化」と言って、犬でいうとわかりやすいですが仔犬らしい外貌を維持したまま性成熟に達することを言います。垂れ耳や短い鼻づら、飼い主を親と慕い続ける行動などがその特徴として挙げられます。

その犬を最上の友として共に進化してきた人間もまた、同じような道をたどってきたのではないかというお話があります。共進化という話で、これは麻布大学の菊水先生のお話です。


人間も、一体いつ「大人」になるのか?と考えると、いつまでも子どもと言えなくはないでしょうか?

生きているうちに親と決別する人もいなくはないですが、ほとんどの場合死ぬまでお父さん、お母さんです。精神的に自立できている状態をどう定義するかにもよりますが、本当の自立は親がこの世にいなくなった時に否応なく突きつけられて受け入れていく過程によってしか得られないのじゃないかというのが私自身の考えです。

そしてこのネオテニーによって、相互の依存性、尊重、思いやりを生み出すことになり、集団を形成し、社会を維持していくという複雑な関わりが可能になるのではないかと思っています。

あーこういうの語り出すと本当に止まらないのでこの辺にしておかないと。


すみません。つまらない脱線ばかりで。


そもそもどこから逸れたのかすらわからない状態ですね。えー。

反抗期の定義あたりに戻りましょう。

人間の子どもは、オトナになりたい、もしくはなりたくないなどと考えた上で親に反抗するのでしょうか?そんなことはないですよね。これを読んでいる皆さんはおそらく大人でしょうから、思春期は経験済みのはずです。

自由を求めて叫んでいたのでしょうか?それも違うような気がします。具体的な望みなど、その時は頭になかったのではないでしょうか。


とにかく、その場での親の意見がなんか違うんちゃうんかい、と思ったときに、それまでは親に意見を言うことはいけないとされて育てられてきて、納得していた自分が確かにいたのですが、少しずつ違うんじゃないかという気持ちが芽生え、それをどう言葉で表現していいかがまだわからないけど、うう…という気持ちをここしばらく抱えてきていて。

あら?でもなんか今日は言えてしまいそうな気がする。

めっちゃ怒ってるやん、自分。そうだ、この湧き上がる怒りに任せて、言ってしまえ。


そんな感情の爆発によって、およそ理屈になっていないことを言ってしまい、その言葉は自分の耳にも聞こえているわけなので言った後に否定したり言い直したりするわけにもいかない。そもそもそんなすぐに冷静にはなれない。

うわ、自分何言ってんねやろ。でも今更しゃあないわい…とりあえずその辺のものをガァン蹴って立ち去る。みたいなことではないでしょうか。


ひとも犬も猫も、周りに甘えることを心地よいと感じます。「甘える」という概念は日本にしかないそうですが。

ですが、甘えを許さない、という空気が中学生、高校生になるにしたがって見えないプレッシャーのようにのしかかってきます。


いつまでも甘えててどうするつもりや。


周りの大人や友達、そして内なる自分からも湧き上がる声。

これは葛藤を生む一要因として充分考えられることだと思います。


犬や猫は一生飼い主に甘えていられるじゃない、とお思いになるかもしれません。ですが、実際そうでしょうか?

くりくりの仔犬仔猫だった時期を過ぎると、まあきみも大人になったね、そんなに遊ばなくなったしねえ…と飼い主さんも対応が少しずつ変化するのではないでしょうか。


そんな時に出てくる問題行動を『反抗期』と捉えてみると、「これは所有性攻撃行動だから、根強くて治療が難しいかもしれないな」と思っていた行動が、ちょっとした行動療法によってあっさり解決することがあるのも納得がいくというものです。

所有性攻撃行動とは、いぬが自分の所有物と認めたものを奪われると感じた時に出現する攻撃行動です。

飼い主さんのものを取って行って、テーブルの下などに隠れる。

飼い主さんが、こら、返して!と追いかける。いぬがうなる。という状況も、所有性攻撃行動に見えます。


でもこういった行動の本質は、飼い主さんの関心を得るために学習された行動であることがあります。


🐾 

勝手に大人になったとおもわれてるけどさ。まだまだおかあさんと遊びたいんだい。

そうやんな。甘えたい時だってあるよな。人間も、大人になったら案外周りに甘えまくってることに気づくしな。

要するに、大人になるって『葛藤なしに甘えることができるようになる』ことなのかもしれんねー。

👣     


もう一度関わりを見つめ直してみることで、子どもは思春期の自分を受け入れ、自己表現できるようになっていくのかもしれません。

こう振る舞えばひとは素直に気持ちを受け取ってあげることができるんだよ、ということを教えてあげることで、犬や猫も自己表現の方法を新たに見つけていくのではないかと思います。


ジュエリーアイスを透過した光の集合体をじっと見つめていると、そんな思いがふつふつと湧き出てくるのでした…

情熱では暖がとれないことがはっきりした朝でした。





16 Jan 2020

(29) 想像と科学的根拠のはざま。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。




前回、年末の身体の異変について書いてしまったもので、あちこちに要らぬご心配をおかけしたようで申し訳ございませんでした。

その後腰痛も良くなり、例の妙な激痛もきておりません。

何だったんでしょうね。気のせい?いやいや…

鑑別診断について考える機会をくれたのですから、あれはあれでよかったということにして、経過観察の日々を穏やかに過ごしております。


というか、ちょっとしたブームだったのが、去りました。

飽きたんですね。つまるところ。

忘れん坊も飽きっぽいのも昔からです。小さい頃から一つのことを長く続けるということがなく、一定期間没入したあとはウソのように忘れ去ってしまいます。非常に悪い癖でして、自分でも嫌になります。


大人になってからも数々の没入遍歴が…

庭。太陽光発電。ピアノ。ガラス。物干し。アイロン。トースター。自転車。文具。

などなど。


庭は、木がたくさん植わったお庭にしたいと思いあれこれいじって、畑もやりたくなって手を出しましたが、今では夏になるとその夢の残骸の間を縫うように夫が黙々と草を刈っています。えらいネ。


太陽光発電は、たまたまお隣に引っ越してきた方が電気設備屋さんで、詳しく教えてくれながらつけてくれました。そのころ勤めていたおとふけ動物病院の院長先生も太陽光発電をつけたばかりで、2人で天気に一喜一憂したものです。大層盛り上がりましたが、今ではモニターをチェックすることもなくなり、積雪時の雪おろしも夫が黙々とやっております。えらいネ。


ピアノは頭が活性化するので今でもほぼ毎日弾いています。これはいいです。音楽は数学であり、言語であり、芸術でもあります。素晴らしい学問だと思います。子どもの習い事としては続きませんでしたが、ピアノは好きでいてくれているので、それでいいんです。


ガラスはグラスとか容器の類です。一緒にキャッキャ言っていた姉が引くレベルにまで傾倒した時点で冷めました。


物干し。いいのを見つけましてね。木製で大きくて、布団も干せるのにたたむとコンパクト。佇まいも素敵で、タオルを干すのも楽しい!本当に折りたたむとコンパクトでして。ええ、今ではずっとクローゼットにコンパクトに収まったままじっと立っています。その佇まいに、たまにビクッとなります。

アイロンも同時期でしたね…(遠い目)


トースター。これは時々再燃しますが、要はパン焼きというものへの憧れです。オーブンを買うかどうか迷う、ということが周期的にやってくるのですが、結局私が生地捏ねて焼くわけないやんという周りの声&自分の声に納得し沈静化します。


自転車は1年悩みました。大人になって自転車に無性に乗りたくなりましたが、ママチャリは重い。オトナの自転車が欲しくなりました。でもこのなんでもすぐに飽きてしまう私が続くのか?無駄な買い物になりはしないのか⁈  幸い、お気に入りの一台に出会い、今でも大好き。雪が解けたら乗り回せるよう、お手入れもばっちりです。冬も漕げるようにと購入した自転車台は眠っていますが…今思い出したわ。やーん。


最後の文具。これはかなり厳選されて今も生き残っている趣味の一つです。書くことが好きなので、道具としての文具とは縁は切れないでしょう。診療でも使っているFLEXNOTEは今専用パンチを商品化しようとクラウドファウンディングで製造元が頑張っています。初めてそのクラウドなんとかに協力の手をさしのべました。このパンチ、待っていたんです。手に入れば、封筒も穴をあけて手帳に綴じることができるので、オリジナルの薬袋をぱちぱちと取り付けることができます。達成まであと少し!頑張れ!


このほか、はんこやら色鉛筆やらコーヒーやら、ブームの到来に一人で喜んではしーんとなるを繰り返し、その度に夫が成長していく様が見てとれます。私との結婚を「修行」と言い切るその覚悟。えらいネ。



すみません、身内を褒めるなんて。お見苦しいところをお見せしました。

自分の欠点について文章にしていると、しみじみ落ち込んできますね。

あ、でもひとつだけ。子どもの頃からずっと続けてきて、これから先も飽きることがないと確信をもてることが、一つだけあります。それはねえ、やはりこの行動学ですね。


飽くなき探求、これですよ。


行動は、精神活動が表出したものと言えます。精神活動は脳の中で起こる神経回路の瞬間的な発火のようなものなので、リアルタイムに捉えることは困難です。

そこを想像で補うしかないわけですが、獣医学である以上、科学的根拠に基づく診断と治療が求められます。

でも行動に関しては、場合によっては「こうとしか思えない」という診断に行き着くことがあって、非常に悩ましいところです。

動物に対して、「きっとこう思っているのだろう」と言ってしまうのは危険なことです。

本当はそうじゃない可能性もあるわけですから。

でも、行動の変化を追っていく限り、想像の域を出ないけれども、こうとしか思えないよね、と自分を許してしまうこともあります。


10月の終わりに診療させていただいた猫ちゃんの診断に非常に悩んだということを言いたいわけでして。

この猫ちゃんは、4年前にノラちゃんだったところを、子育て中だった仔猫3頭とともに引き取られました。仔猫たちはすぐに飼い主さんご夫婦に懐きましたが、お母さん猫は警戒心が強く、怖がりでなかなか触れるようにならないままでした。

飼い始めた頃からお母さん猫は家の中を昼夜問わず徘徊していました。最初はギャオギャオと鳴きながらでしたが、1年ほどまえから鳴くことは止んで、かわりに飼い主さんが声をかけるとニャアと返事をするようになりました。

少しずつ距離が縮まってきたような気がしていた頃になって、突然この猫ちゃんがトイレ以外の場所でスプレー排尿(立ったまま吹きつけるように行う排尿)をするようになりました。


日当たりの良い広いお部屋にはキャットタワーがたくさん置かれ、トイレの数も十分にあり、こまめに掃除をしていたにもかかわらず始まったこの行動には飼い主さんの心痛も相当大きかったようです。

質問票を受け取って、お話を伺ったとき、私は「この子は本当は飼い主さんに近づきたいのだけど、できない葛藤が原因なのではないか」と思いました。

想像の域ですね。

葛藤というのは、相反する感情がぶつかりあって生じる情動です。「近づきたいけど怖い」といったようなときに生じます。


ひとまず、仮診断を「葛藤による尿マーキング行動」として行動療法を始めていただきました。

結果から申し上げますと、約1ヶ月半でこの猫のスプレー排尿は消失しました。

やっていただいた行動療法は、仔猫たちがついてこない状況で、お母さん猫を『飼い主さんが絶対に座ったまま動かないことが分かっている小部屋』に誘って食べものを与える、ということでした。

飼い主さんが座ったまま動かない部屋、というのは、実は人間のおトイレだったのですが。

前から、飼い主さんたちがおトイレを使うときにお母さん猫が覗きに来るという行動がありました。なぜだろう、と考えたときに、座ってしばらく動かないことが確実に分かっているからではないか、と考えました。

じっと動かない飼い主さんには、近づきたいのかもしれない、と思ったのです。


そのほか、飼い主さんの冷静な観察による試行錯誤も功を奏したわけですが、では診断も正しかったのか。

それはそうとも言い切れません。診断は間違っていたけれども、たまたま治療が同じでうまいこと治った、というのは病気の治療でも時々あることです。


まあ、治ってんからええやん。という考えもありますが、それでは先に繋がりません。今後再発したときどうするか、また同じような猫ちゃんがいたときにどのように考えるのか。そこを掘り下げることは大切なことです。

そして、やはり獣医師としては確定診断を得たい。

そこで、飼い主さんのお許しを得て、師匠たちに相談してみました。

仮診断から治療経過までのお話を黙って聞いていた先生が、「これって、飼い主の前で自己表現をうまくできない葛藤でしょ?」とさらりとおっしゃいました。


時が止まったような気がしました。

えええ〜。そう言っちゃってもいいの!!?

「猫には飼い主さんの前でうまく自己表現をしたいという欲求がある」と言っているのと同じです。

でもまさにそれが、自分が欲しくて欲しくて見つけ出せなかった言葉でした。

もう、「そうとしか思えない」のです。

仔猫たちと仲が悪いわけではない。ただ、ついてこられて仔猫が飼い主さんに群がってしまうと自分はどうして良いのかわからない。コミュニケーション手段として唯一みつけたのは、声をかけられたときに返事をしてみるということだけ…。

徘徊行動も同じ葛藤がもたらしていたとすれば、スプレー排尿の問題が解決したとき、徘徊行動も減るかもしれないと考えていましたが、やはり同時期に徘徊行動もほとんどしなくなりました。


言葉にできない想いというものが、犬や猫にもあると考えても良いのではないか、とは思います。ただ、証明ができないので、それを言うのは勇気がいります。

それを「だってそうとしか思えないじゃん」と朗らかに言ってしまう師匠の言葉には、確かな経験に基づく真実があるように思いました。

意外と多いのだそうです。自己表現ができない葛藤。



しょうがない。こんなときには、関西人のあの便利な言葉をつけるしかない。


自己表現したいと思ってるらしいで、猫って。知らんけど。


獣医師がこんなこと言っていいんでしょうか。

ええらしいで。知らんけど。


ふざけた終わり方にしたくはないですが、悩みは尽きず、半笑いで寝るしかなさそうです。

新たな研究結果が発表されたら、お知らせします。



ところで、インスタグラムを始めました。アカウントは、jiu.abcです。

クリニックでの行動診療の内容を詳しく書いてアップしてくださった飼い主さんが誘ってくださったのですが、その可愛いわんちゃんのお写真に温かいコメントを寄せてくださった皆さんの言葉にとても感激いたしました。

照れ屋さんなのでインスタでメッセージとかようしないんですが、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

行動診療というものを多くの方に知っていただけるように、私自身もっと努力しなければいけないと改めて感じました。

なんにも難しくない、根拠にもとづく「そうとしか思えないよね〜〜」を一緒に体験できたら、犬や猫のことがもっと身近に感じられると思います。

これからも、よろしくお願いいたします。






4 Jan 2020

(28) 正月休みと鑑別診断。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


毎年この時期は、雪は少ないと言われるここ十勝でも公園の雪山ではそり遊びし放題、学校や街なかにはスケートリンクが完成し冬休みの娯楽には事欠かないという状況のはずですが、去年に続き今年も異常に雪が少ないお正月を迎えており、子どもたちが外でちっとも遊ばないという危機的状況になっております。

身体を動かしたくてたまらないのは、いぬもひとの子も同じですね。

でもみなさん、こう足元が凍っていては散歩も大変だと思います。怪我をしないようくれぐれもお気をつけいただきたいと思います。


さて、年末年始のお休みをいかがお過ごしでしょうか。

ふだん仕事をされている方は、休みになるとふと気が緩んで体調を崩すなどということがあろうかと思います。私自身も昔からそういうところがあって、若い頃は実家に帰ると風邪をひくというパターンが長年続いたものでした。

今年の冬は風邪もひかず胃腸炎にもならず、そのままの健康状態を維持して元気にお休みに突入したとたん、ちょっと変なことになりました。


症状:

12月26日深夜、下腹部に違和感。ソファから立ち上がったとき、背部から仙骨(腰の骨)にかけて骨が軋むような痛みが走り、動けなくなる。気分が悪くなり、気が遠くなりそうな感じ。その後嘔吐。倒れ込んで10分ほどで痛みがおさまった。

下腹部がチクチクと痛むような感じは2、3日続き、消失。その間食欲、元気あり。消化器症状(下痢や嘔吐など)なし。排尿痛や血尿等なし。


そう言えば。数週間前にもこのような症状がありました。


12月6日20時ごろより腹痛と寒気。胃腸炎に罹ったかと思い、食事を抜いて早めに休む。翌朝汗をたっぷりかいて目覚めたら、チクチクする腹痛はあるものの、平熱で消化器症状もなし。多少の脱水があり、飲食により回復。

ーーー


12月26日の痛みは、陣痛と同レベルでした。というかそのものでした。

なんか生まれるんかと思ったぐらいです。

このような痛みにはひとつ思い当たることがありました。昔母が尿管結石で二度、吐くほどの痛みを経験していました。親子だし、自分もなるのかなとぼんやり思っていたのもあって、ははあ、これが尿管結石だなと思いました。

また動けなくなるのは嫌なので、翌日大きな病院に行きました。

一応頭では尿管結石かな、と考えていましたが、バセドー病でその病院の内科にかかっていますので、とりあえず内科で相談して必要なら泌尿器科に回してもらおうと考えました。


診察を担当したのは、主治医とは別の医師でした。症状を訴えると、結石の可能性はあると思うと言い、血液検査と尿検査を指示されました。

結果が出てみると、炎症もなく尿検査にも異常なし。尿管結石は否定的という説明でした。


ではどういう原因が考えられ、それを確かめるのにどのような検査が必要かという話をするか、経過を見ても良いだろうという判断するのに十分な理由を説明するか、そのいずれかを聞かせてくれるんだろうと思いながら医師の次の言葉を待ちました。


彼は、「あとは内視鏡をするか、CTかですけど」とだけ言いました。

ん?なんのために?何を疑っていらっしゃるのかしら?それは腸管の問題を探すとか、他の内臓に何かできてないかをみるということですか?

「それか、婦人科ですね」

はあはあ、なるほど。婦人科でもそのような痛みがでるような疾患があるのでしょうか。

「そうですね、でも炎症蛋白も正常ですし、考えにくいですけどね」

「どうしましょう、痛み止めを処方しましょうか」


・・・

「症例検討」というものを獣医師同士で行うことがあります。

参加している勉強会や学会はいわゆる「症例検討会」を行う場でもあります。

この医師は、私のような症例を他の医師に説明することになった際、どのように説明するのだろうか、ということを考えずにはいられませんでした。

「昨日の夜めちゃめちゃ背中痛くなって吐きましてん」

という主訴です。

ドクターGなら!(古い!)稟告(症状に関する訴え)から詳細な鑑別診断リストを作成し、必要な検査を行って病因に迫るはずです。

あらゆる症状には原因があります。「気のせい」という理由で帰された、という話もよく聞きますが、一体どんなつもりかと思ってしまいます。


先日遠方から相談を受けたわんちゃんも、突然食欲がなくなったので近隣の動物病院に行ったが、検査をしてなんともないと言われた、では原因はと尋ねても身体はなんともないと言われてしまった、というお話でした。

その子の食欲不振の原因は、引っ越し後の環境変化なども関わっていたと考えられる「不安症」だったのですが…。


思いつかなかったとしても、何か原因があるはずだが自分には分からない、という説明の方がよっぽど親切だと思います。

なんだかなあ…という思いを抱えていたところに自分も全く同じ体験をしてしまっていることにちょっと笑ってしまいましたが、わろてる場合じゃありません。もう少し診断に近づく事実が出てこないことには落ち着かないじゃないですか。


仕方がないので、自分で調べて鑑別診断リストを作成しました。

私の痛みは、どうやら「骨盤痛」というものに分類できそうでした。


♯骨盤痛

腎泌尿器系:尿管結石その他

婦人科系:卵巣捻転(卵巣の腫大が原因になることが多い)

消化器系:腸管、虫垂

その他:腹壁、大動脈の下部


これだけあげてくれるだけでも助かったのに。

でもお医者さんも、いたずらに患者を不安にするのもよくないと考えたのかもしれません。まあいいや、頑張れ未来のドクターGよ。


原因が分からない時は、ひたすら除外診断をしていきます。

ここは大丈夫だったね、ということを一つ一つ確認して消していくのです。

まず、腎泌尿器系は否定的としても良いでしょう。次は婦人科系です。翌日、年内の診療最終日に婦人科医院に駆け込みました。

こちらの女医さんは話が早かった。さっさと超音波検査をして、左の卵巣腫大を見つけてくれました。ただ、大きさは3センチほど。卵巣捻転が起きた可能性はあるが、たいていは6センチぐらいになると起きやすい、とのこと。

でもまあ、すぐにおさまったところを見るとこれやったんかもなあという気がしました。


とりあえず他の除外診断を進めるには時期的に厳しいですし、残るは内科医の言うように内視鏡かCTになるでしょう。ここはひとつ、経過を見ることにしよう、と決めました。

あれから強い痛みはなく、大掃除をしていたら腰痛がしてきて、こないだのアレ、腰痛ちゃうよな…それやったらめっちゃ恥ずかしいやん。などと考える程度に落ち着いています。



今年最初の勉強帳にこんなことを書きましたのは、動物を飼う全ての方に、このような「診断の流れ」というものを知っていていただきたいからです。

行動診療でも、もちろん同様に鑑別診断リストを考えます。

治療に反応した結果をみてから診断名が確定されることも多いのですが、飼い主さんと一緒に問題行動の原因を検討することは、他の病気と同様にとても大切なことです。


今後再発はあるのか。どの程度まで改善するのか。

「予後」の予測により、再発を予防するために、またはこれ以上悪化させないためになにを気をつけて過ごすべきかを考えることができます。

そしてもう一つ、今後新たな問題が生じたときにどうすれば良いかを飼い主さん自身が考えることができるようになると思うからです。


ひとつの問題行動に対し、必死で考え、原因にたどり着く。

その経験を通して、飼い主さんにもこれまでと違ったものが見えてくるのではないかと思っています。


ひとがいぬを飼いたいと思う理由。

ひとがねこを愛してしまうのはなぜなのか。

ひとって一体、なんなんだ。


究極、ここまで考えが飛んでいくのが行動診療…なのかも。

あんまり書くと変態領域に入ってしまうので、もうこの辺にしときましょう。



ところで、みなさんは初詣には行かれましたか。

今年のおみくじもありがたいことに大吉でした。

昨年のおみくじには夫を踏み台にして袖を振っていればいいことがあるというようなことが上品に書かれていましたが、今年は「短気になるとええことはない、周りとよくよく相談した挙句に自分の思う通りにしたらよい」というようなことが品良くまとめてある内容でした。

なんにしても、思うがままに行けというメッセージを神様より謹んでお受けした次第です。



思うがままというのは、なかなかに責任の重い言葉です。

しかと受け止め、あんまりフラフラせず、腰痛に気をつけて過ごしたいと思っております。


改めまして、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



令和2年1月4日〈仕事はじめ〉

Jiu動物行動クリニック

室井尚子








24 Dec 2019

(27) アートジャーナルと沼と行動診療の深い話。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。



皆さま、メリークリスマス。

クリスマスやお誕生日などの記念日を上手に楽しむことが得意ではない我が家にも、サンタさんは来てくれました。

長男(小6)には電子計算機と扇子。

次男(小4)にはスターウォーズのプラモデル。

三男(小2)には愛知県産しらす干し。

長女(小2)にはジェンガと食品サンプル製作キット。


若干変なやつが混じっていますが、概ね本人たちの希望どおりです。

ちりめんじゃこに時折混じる海洋生物の幼生などを調べることにハマっている三男は、ほどよく解凍されたしらす干しの調査を終えたら、美味しいところを家族に提供してくれるはずです。

長男は決算期を迎えてややテンパっている母親を手伝ってくれることでしょう。扇子は、9月に観光地で買い損ねて以来、彼がマジで欲しがっていたものです。

凍てつく北海道に届く奇跡の贈り物。サンタさん万歳。



そして、毎年来てくれるサンタさんがもう1人。めむろ動物病院院長の、ひづめサンタさんです。

写真のパグ犬ケーキと嬉しいプレゼントを持って今年も来てくださいました。

不思議なほどするすると深いお話になるのが樋詰先生との会話です。

なんでしょうかね。普段一人でこっそり潜って楽しんでいる沼の底でばったり出会ってしまったようなかんじです。


限られた人としか共有し得ないだろうと思われる偏った思考を分かち合えるひと。

こういう風に思える人が何人か存在します。高校時代の友人であったり、長年通う美容室の美容師さんであったり。最近は、自分の父親や夫の沼の底もチラチラ見える時があります。

それぞれの沼は異なっているのですけど、それぞれの深みに毎回魅了されます。


ひとは心の中にそれぞれ湖を持っていると言います。

ですが湖というと、なんか大きすぎるというか。もっとちんまりした、でも美しい沼というイメージがしっくりきます。たまに、ダム湖かな、と思う日もあります。決壊したりしますからね。

できれば、オンネトーのような神秘的な沼がいいですね。

紅葉の時期には息をのむうつくしさです。水面に紅葉と空の色が映り込み、なんとも言えない色合いをたたえており、その水底は見えません。

深いのか浅いのか、その水の本当の色は何色なのかわからない。

でも確かめてみようという気も特に起きない。多分オンネトーとはこの程度の距離でいたいってことやな…。


他人の沼の見え方で自分との距離感を客観的に見てみる。

それは自分の行動を客観視することに繋がります。

自分の行動を客観視することは、前にも書いたような気がしますが言語を獲得したひとだけに与えられた特権だと思っています。

上手に母国語を操れるひとはみんなできることです。その能力に気づいて磨く人の沼はうつくしい。そういうことなんやろうな〜と思います。


磨き方ですが、手っ取り早いのが絵日記です。

樋詰サンタが言うところの、アートジャーナルです。先生もつけていて、私もつけています。


ふだん私たちは、本や新聞、インターネット、テレビなどから、言語を通じて得た情報を自分の言葉や声に置き換えて記憶しますよね。

そこに絵日記というものを挟みこむと、

言語による情報を捉える→内容を理解する→関西弁に置き換える→ツッコミを入れつつ装飾する→自分の考えとして記憶する

という作業が大幅に要領よく進むうえ、さらなる思考を生みだします。

沼に漂うプランクトンがぶわっと一気に増えるような感覚です。

水中に散らばったプランクトンが動きを止めたあと、静かに水底に沈み、それが堆積して沼の底になります。

その、底の厚み。これがひとが持つ深みというものではないでしょうか。


大半は忘れてるという話です。プランクトンは死にますから。

でも積もっていくんですよね。日記を読み返すということでもありますが、積み重ねた思考は、ちゃんと厚みを増してくれています。


このアートジャーナル的思考が、行動診療に通じるところがあります。

自分を客観視することがなぜ行動診療において大切なのか。クリスマスの今日は、そのことについて書きましょう。


24日に2回目のカウンセリングに訪れた飼い主さんとわんちゃんのお話です。

いぬは、5歳のビーグル。主訴は9ヶ月続いていた「尾追い」です。

尻尾を追いかけてぐるぐる回り、追いついた時にかじるので尾の先の毛は抜けて、皮膚からは出血します。痛みを感じるので、キャンと鳴いて回るのをやめますが、しばらくするとまた回り始めます。

いぬはヘトヘトになり、水をがぶ飲みしてようやく休みます。


それを見ている飼い主さんはどうすることもできず、気が滅入る毎日だったといいます。

明確なきっかけは思い当たりません。ただ、小さい頃からちょっとしたことで唸ったり、噛みそうになったりということがありました。

そしてビーグルなのにあまり食に関して貪欲ではありません。ビーグルと言えばあちこち掘り返して食べ物を探すほど、食べるの大好き、という犬種です。でもこの子は家の中でいたずらなどは一切しません。

おやつも大して喜んでいるように見えない、とのことでした。

飼い主さんは代々ビーグルを育ててきた経験がある方で、やはり飼い始めた時からこの子はちょっと変わったビーグルだなあと思っていたようです。


「尾追い」は遺伝的に出現しやすい犬種というものがわかっています。

ですが、この子がそうとは限りません。どんな遺伝子を持っているかは調べればわかる時代ですが、どの遺伝子が発現してどのように影響しているのかはわかりません。ゲノムを調べたところであまり意味はありません。


見える情報から集めていきます。

どのような条件で回るのか、どんな気持ちがきっかけになるのかを考えていきます。

まずは、飼い主さんが一緒にいる時しか回っていないことがわかりました。

夜寝る時その子は部屋に一人になりますが、まわりません。

飼い主さんが仕事をしている間は留守番になりますが、まわりません。

飼い主さんがおはようと言ってから、カーテンを開けたりしだすとやおら回りだすという感じで1日が始まります。

ほかには、食餌の準備の時、トッピングにするジャーキーをハサミで切っている時、来客があった時はきっかけになっているようでした。

あとはテレビを見ている時などとにかく一緒にいるとずっと回っているという状況でした。


1回目のカウンセリングで得た情報は行動学的に診断するために完全なものではないことが多いので、この時点では「常同障害または常同行動」あるいは「葛藤行動」という仮診断を下しまして、お薬を処方することにしました。

抗うつ薬のフルオキセチンという薬です。

いぬの常同障害の治療においてもっともエビデンス(証拠)となる情報が多い薬物です。

そして、この子の場合は飼い主さんの存在が条件になっていることがはっきりしていますので、「飼い主さんの関心を求める気持ち」「要求」などが動機となっている可能性が高いと考えました。

そこで、寒くなった北海道ではなかなか大変なことですが、食餌よりも散歩が大好きというわんちゃんの気持ちを汲んでいただき、10分でいいから1日2回、散歩に出ていただくことにしました。


そして昨日で2週間が過ぎまして、再診に来ていただきましたら、3日目ぐらいから尾追いの回数、継続時間ともに半分以下に減った、とのことでした。

あら早い。

フルオキセチンは、飲み始めてから効き始めるまでに1〜2週間はかかるという薬です。副作用でちょっと眠くなりますから、そのせいで多少即効性を感じる場合もありますよとは言ってありましたけども。まあ眠いようですけども。


おそらくこれは飼い主さんの行動がなんらかのかたちで変化したのが影響しているのではないか、ということと、散歩に出ていただく習慣がかなり功を奏したと考えるのが妥当に思われます。

行動診療の過程で、言われてみればそういう条件で回ってるな、ということが整理されると、回っているいぬを見ている時の心情がちょっと違ったものになってきます。そういうことか、そうかそうかという気づきがあるだけで、いぬにもしっかりと伝わるぐらいの行動の変化が飼い主さん自身に起きるのだろうと思います。


そんなこともあって、頻度が減りました。それでも回っているわけですが、今度はもっと条件が絞れるようになります。以前はもうとにかく一緒にいたら回ってヘトヘトになっていたのが、時々になりましたから、じゃあどんな時?ということを考えることができます。

そうしたらですね。飼い主さんが「いつもと違うこと」をした時なのではないかということになりました。

飼い主さんは70代の男性で、お一人暮らしでいらっしゃいます。

家にいる時はわんちゃんとふたりなので、ちょっとトイレ行くね、なんて声をかけることが多いそうです。そうするとわんちゃんはちょっとついてきて、トイレに入るお父さんを確認するそうです。

その時まわってないの?と聞くと、「まわらないね。」

散歩に行く、とか、仕事に行くとき準備しますよね。どんな様子でしょう。

「準備するとね、わかるみたい。あー仕事か、ってね、あきらめてる。」

その時まわってないの?「まわらないね。」

じゃ、いつ。

タブレットの蓋をパタンと閉じた時、だったりするのだそうです。

なにかを思いついて、あ、そうだあれやんなきゃ、という感じで急に動いたりすると、まわっているかもしれないというのです。


この子の「尾追い」の条件は、

飼い主さんがいる

家の中、車の中(散歩中はまわりません)

来客、携帯の着信音、ジャーキーを切るハサミの音

「いつもと違うお父さんの動き」

だということがわかりました。


これで診断はほぼ「葛藤行動(葛藤の感情が湧き上がるタイミングでのみ出現する常同行動)」で確定ですが、きっかけは不明ということになります。

発症当時になにかの理由でストレスが高まった環境下にあったのかもしれませんし、尾追いに没頭することで嫌な感情から離れることができたという学習が入ったのかもしれません。わからないんですよね。


でもとにかく条件がはっきりしたので、未来は少し明るくなりました。

そこでお父さんに必要になるのが、「自己の客観視」ということになります。

ご自分がどう動いているかということを考えていただき、それをいぬから見るとどう見えているのかを考える。

そしてトイレに行くときのように、「玄関に鍵を忘れちゃった。取ってくるね」と声をかけてから動いていただく。

これが次の行動療法になりました。

今後はもうしばらく薬を続けながら、水色で不透明のエリザベスカラーを透明のものに替えて、尾が見える状態でもまわりたくならないかを観察し、大丈夫なら小さなサイズにしていき、外して生活するところを目指します。

その間にはまた細かな行動療法を入れていく計画です。

なんとか断尾手術をしなくても済むようにしてあげたいね、と話しています。


絵日記つけてください!と申し上げたわけではありません。

ひとにはそれぞれやりやすい方法が違っていると思いますので、これがいいですよ、こうしてください、とはあまり限定しないようにしています。

ただ、向かっている方向をできるだけ明るくして一緒に見ていられるようにすることを心がけています。


水先案内人@沼。

ときどき底に降りていて、留守。


来年は、さらなる飛躍を目指して絵日記に自由律俳句も添えたろかな。



本日も長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

年末年始は、12月29日から1月3日までお休みをいただきます。メールでのお問い合わせには対応していますので、年明けの診療や仔犬、仔猫教室に関するご相談などありましたらお寄せください。


行動クリニック開業、開設の年、令和元年がもうすぐ終わろうとしています。

しずかに思いを積もらせるお正月休みにしたいと思っています。

ちなみに、わんちゃん猫ちゃんにとって、お正月休みというのは結構な試練の時です。親類親こどもなどが家に来て、わさわさと環境ストレスが高まります。そんな時に問題行動が現れることも珍しくありません。

できる限り、「いつも通り」を意識して過ごしてあげてくださいね。


皆さまも、どうぞ良いお年をお迎えください。




11 Dec 2019

(26) 期待する気持ちと問題行動。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


寒くなってきましたね。

帯広は連日「真冬日」。最高気温が零度以下、という意味です。

今朝はちょっとぬくいかな、と思って温度計をみると、ー3度とかです。

ー3度はまだ暖かい方です。

積雪はそうでもありません。雪は土曜日、さーっと積もりましたが、大した量ではありませんでした。

いつも勉強会でご一緒している先生方との忘年会の一次会を終えて店の外に出ると、来るときにはみえていた歩道が雪で覆われていました。

そのまま二次会会場へ。


結局二次会行ったんかい。というツッコミをくださったあなた。

通ですね…。


まあしかしですね。二次会でせっせと求愛行動を見せるおじさんたちを観察するのもこれはこれで価値のあることです。

参加者は20年以上続く勉強会のメンバーです。

まだ独身だった若き獣医師たちが立ち上げ、各病院持ち回りで事務担当をしながら症例を持ち寄って切磋琢磨した先生方です。

今はもう皆さん立派にご子息・ご令嬢を育てあげ、今回修行を終えて戻ってきた2代目の若先生が勉強会に仲間入りなんていう病院もあるぐらい。


私は途中でお仲間に入れていただいたクチですが、入会はかれこれ18年前でしょうか。実習に行かせていただいていたにれの木動物病院の院長先生に、まだ学生だった私にも参加してみないかと声をかけていただいて端っこに座らせていただいたのが最初です。

その後、めむろ動物病院に就職して、晴れて正会員にしていただきました。

その頃の院長先生方というのは18年前ですから、今の私より少し若いぐらいの年齢でしょうか。子育てまっ最中ながら、仕事に遊びにとエネルギッシュでそれはもう話が面白すぎて飲み会が楽しみで仕方がなかった頃です。

いわゆる本当の求愛行動ではないですが、生き生きした先生方の活動性はカテゴリーとして「求愛行動」と言ってもいいだろう、と思われるものでした。


節度ある大人の二次会の求愛行動パターンは以下のような形で表出します。

①恋バナ

②若者イジり

③ちょっと抜け出してお気に入りの子がいるお店に顔をだす

④若いだけの新入りのほっぺをつついて喜ぶ

⑤ふざけて腕を組んだら、満面の笑みで「女の子が腕組んできたら、ほら、ここな、ここにちょっとだけ胸があたるやろ。これがええねん〜」と大喜びする

⑥妄想とリアルな願望を語り、うっとりする。一緒にうっとりしてほしがる。


後半はあんまり節度ある態度じゃないですが。セクハラの境界線て難しいですね。

これね、真面目な時は本当に熱く獣医学について激論を交わし合う方たちだということを知っているから許せる行動なんですね。

尊敬と思いやりがあれば、ハラスメントはないわけです。

尊敬と思いやりは、義務教育期間中に体得してもらいたい思考です。

これについてはまた後日。


さて、この頃の大御所の先生方のセクハラ事例を挙げるといとまがないのですが(セクハラ言うてしまっていますが…)、それも元気な証拠です。

私はただ若いだけで今と同じ性格でしたから、先生方に喜んでいただけるよう無邪気にいじられ、お酒の力を借りて遠慮なくつっこみ、今の夫との付き合いをからかわれてもナイスリアクションをとってあげたりして結構貢献してきました。

きっと結婚して落ち着いた?先生方には、まさに恋愛中の若者の話というのは楽しいものだったんだろうなと思います。

そういう先生方は何を楽しんでおられたかというと、疑似恋愛ですね。③とか。

まやかしの、偽物と分かっている恋です。ププッ。男ってしょうもないですね。


そういった話で盛り上がっていた同じ会の二次会が、18年経った今現在、どのようなものかと言いますと、なんと。

すべてが過去形になって掘り返される⑥。です。

これはこれでオモロイ。

「あの娘に告白されたときは苦しかったけれど断った。」

「おまえあの時そんなこと一言も言ってなかったやないか〜!」

現実と思い出と妄想の間で、今も元気な先生方です。まだ20代の若先生にはとても勉強になったことと思います。お疲れ様でした。



さて。

今回は飼い主さんのお許しをいただきまして、症例のご紹介をさせていただきます。


画像は、そのわんちゃんの診断書です。

ご相談の内容もなんとなくお分かりになるかと思いますが、5ヶ月齢のゴールデンレトリバーはなこちゃんの問題行動は、「甘噛み」と「食糞」、「トイレ以外の場所での排尿」でした。


質問票を送っていただき、予約の日を決めて、お会いしました。

はなこちゃんはお腹がゆるくなりやすいという悩みも抱えていましたが、それは主治医の先生が検査を進めている最中で、お薬で落ち着いている状態でした。


ご相談当時、台所から見えない位置に置かれたケージの中のペットシーツで排尿してくれる確率は「20%」。

飼い主さんが仕事などから帰宅した時、手を噛んでくる。

他には、散歩中拾い食いをしてしまう、歩いているときアイコンタクトできない(目と目が合わない)ということがありました。


性格についての飼い主さんの評価は、怖がり、甘えん坊、食べ物に弱い、さびしがり、好奇心旺盛、頭が良い、でした。

ごほうびはトイレが成功した時、ハウス(ケージに自分から入る)ができたときにあげていました。

オスワリ、マテ、オテ、オカワリができていました。

好きな遊びは、なわを齧ることと、ボール遊びでした。


問題行動が起きたらまず考えることは、「その行動をしている時の動物の気持ちが楽しいか、楽しくないか」です。

はなこちゃんはどうでしょう。

楽しそうです。全部楽しいからやっています。

どうして楽しいのか。

排泄行動は生理的なもので、「すればスッキリ」です。どこでやっても同じです。それに色がつくとなお楽しい。

色、とは、この場合「トイレ以外で排泄すると、においだけで気づいてくれる飼い主さんが、即片付けるための行動を始めること」です。

これがはなこちゃんにはステキなご褒美だったのですね。


頭が良いですから。自分で遊びを考え出すという感覚でしょうか。

はなこちゃんにとっては、とても健全な成長の現れと言えます。ねえねえお母さん今日ね…と話しかけてくる子どもは健全ですよね。同じです。


食糞、よくあります。これは犬では正常な行動ですが、医学的な問題が関係していることもありますので、慎重に鑑別します。はなこちゃんの場合は、おしっこと同じで「飼い主さんの気を引きたい」という動機が元になっていると考えました。


甘噛み。これも同じですね。

やったー帰ってきた!ねえ見て!ねえ見て!ねえ見て!(エンドレス)

です。


そんなわけで、楽しく問題行動していたはなこちゃんに対しては、その要求を満たしながら飼い主さんが望ましいと思う行動に置き換えていくトレーニングをしました。

途中、甘噛みがあまりにしつこいので、「嫌悪条件づけ」という行動療法を試してもらいました。してほしくない行動に対して、大きな音を鳴らしてびっくりさせたり、ドアを閉めてその前で5秒ほど待たせ、オスワリできたら開けてあげるという方法です。

これが、はなこちゃんにはうまくいきませんでした。

飼い主さん曰く、ドアを閉めて待たせると「イラッとされる」のだそうで。

面白いですよねー。相当頭がよろしいはなこさんでした。


話をしている中で、そう言えばはなこさんはペロペロと舌で手を舐めてくれるということがない、ということがわかりました。

噛まないで、舐めてくれるならいいのにね、という話になりました。


がしがし向かってくるはなこさんの前に座ってみると、最初はまともに顔面頭突きをくらうのですが、そのうち手をカプカプと甘噛みしてきます。

まあ痛くはないので、噛ませておきます。

手をグーにしてみます。まだ噛んでいます。

「ちがうねんなあ、はなこちゃん、舐めてくれへんかなあ」と言いながらそのまま手を動かさないでいると、少し落ち着いてきた時にペロっと舐めました。その時、「そう、それそれ。舐めて」と言ってご褒美をあげるようにしました。


これで、飼い主さんには甘噛みが減りました。まだするんですけどね。

そしてお客さんにはテンション上がるんで、やります。

ここら辺に関しては、楽しんでやっていることですからほどほどでやめさせるという考えで良いということになりました。結構アバウトです。


トイレと食糞の問題に関しては、犬の排泄の基本的なことを知っていただくこと、失敗させないように気を配ることです。

はなこちゃんは飼い主さんの気を引きたいわけですから、はなこちゃんが期待する楽しいイベントを失敗時にはしないようにして、正しい行動をしたときにイベント開催、という風にすることで解決です。

おしっこされるとすぐ拭いて消毒したいですよね。雑巾とスプレーを持って、ジャーンと登場する飼い主さんはまさにエンターテイナーです。さあ始まるぞ、とわくわくして見られていませんか。

片付けるときは本人に見せない方が良い、と本にもよく書かれていますが、そういうことです。


期待する気持ちがあるのは、精神的には非常に健全で真っ当なことです。

飼い主さんとの信頼関係もばっちり。何の問題もありません。それでも「問題行動」は生じます。

そういうときは、「どう分かってもらうか」が重要です。

わんちゃんの性格によって方法が変わるのは当然のことですね。

本を読んでうまくいかないなあ、というときは、仔犬教室に来てみませんか。仔犬を飼っていらっしゃるというのが参加条件ではありません。

こういうときどう考えればアイデアが出るのかなという、もとになる知識を持っていただくことが目的です。

独創的なアイデアを思いつくためには、知識の集積が必要です。

どうぞお気軽にお問い合わせください。


はなこちゃんは、現在9ヶ月になりました。お腹の具合はお薬で安定していますが、飼い主さんははなこちゃんのごはんのことが気になるようです。

今度、一緒に栄養学を勉強する約束をしています。

勉強は、必要な時に必要なだけやるのが一番楽しいですね。子どもがうらやむ、自由な大人の勉強会を楽しみたいと思います。






27 Nov 2019

(25) マウンティングと求愛行動についてー忘年会の季節ですね。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


写真は少し前になりますが、大阪の学会に参加して帰ってきた日の帯広空港の様子です。

出発前も寒かったですが、すっかり雪景色になっていてびっくりでした。

大阪はぬくかったです。


症例発表をして、たくさん勉強もしてきました。

行動学の講義も聴講しましたが、個人的には皮膚科や整形外科の講義が印象に残りました。内容も大切ですが、やはり伝え方の善し悪しやなあなんて偉そうにも思いながら、そちらの技術も大いに吸収しようという思いで聴き入ってきました。


皮膚科と言えば、私がもっともお世話になったと言える(かもしれない)、めむろ時代の直属の上司というか、小動物診療において指導にあたっていただいた村山先生の講義がありました。

ヤンキーの兄ちゃんみたいな風貌はあまりお変わりがなく、いまも若々しく闊達なご様子でいらっしゃいましたが、アジア皮膚科学会の専門医となられた現在のご活躍を見るのはなにやら不思議な気持ちです。

7つ歳上の村山先生が30代半ばの頃、おっしゃっていた言葉があります。


「ひとは25歳から30歳の頃に出会う人物に、いちばん影響を受けるんだって」


折しも、村山先生は東京で皮膚科の病院を開業されている先生のところに勉強しに通い始めていて、私は私で札幌の小田先生のところに行動診療を教わりに通っていた頃でした。

お互いに学んできたことを診療の合間に共有し、ああだこうだ話をする時間が持てたことは、自分にとって大変貴重だったと思います。

私自身がかなりペーペーだったのもあって、なかなか2人で1+1を2にして実際の診療に当たるというのは難しいことでしたが、それも含めてその後の人生に大きな影響を与えたのは他でもない村山先生かもしれないなと、少々複雑な気持ちですが、感じてしまうところではあります。


なんか、前回もそうでしたが、ここのところ内容がタルいですね。


学会がらみ、皮膚科がらみで書きたかったのはこのことではなくて、その村山先生の現在の病院で勤務されている若い先生のモーニングセミナーが秀逸だったということです。


講義後ご挨拶をと思いましたが、質問をしたい方が先生の前にずらりと列を連ねており、次の講義もあったので辞してしまったきりお会いする機会がなく、あのまま並んでおけば良かったと悔やんでいるところです。

プレゼンテーション、話し方、声のトーン、内容、全てが良かったです。

特にスライドに使われていたフォントが好きでした。

すっきりと、個性的。


どうしても、限られた時間の講義ということで講義する先生の方もできるだけ多くのことを伝えたいと思われるのでしょう、やや詰め込み過ぎだなと感じる講義が多い中、十分な余白をとった、よく片付いたクローゼットの中みたいな構成にすっかり感心してしまいました。

自分がそのような立場になる日が来るのかどうかはわかりませんが、是非ふだんの診療もこうありたいというイメージを持ちました。


学会は、いつもskypeで声しか聞けない先生方と直接会える楽しい場でもあり、たくさんの企業ブースを回って面白い犬用おもちゃや猫じゃらしを買ったりできるお祭りでもあります。大変有意義な3日間でした。



さて、タルい話はこのくらいにして、表題のテーマに入りましょう。


行動学は、犬、猫だけでなく広く他の動物種でも研究されています。

行動は見えますからね。

ひとは「あれはどういう意味だろう」と情報を求める動物ですから、行動のもととなる脳のはたらき、種ごとの社会的な特徴などを調べ、「あの行動はこういう意味づけが妥当だ」ということでさまざまな学問分野を確立していきました。

動物行動学の分野では、フィールドワークという、いわゆるジャングルに分け入って対象の動物の行動をつぶさに観察、記録し、分析する研究者の功績が最も大きいと言えます。


一般的にも、行動学は人気です。

特にみんなが好きなのは、わたしたちひとの行動学です。

身の回りにある箱のデザインひとつとっても、人間行動学に基づかないデザインはすでに淘汰されています。ポッキーの箱、ティッシュの箱、アイスの箱。紙ゴミとして捨てるときに、ひとがどう畳むかまで計算されています。

そして、最も関心が高いのが、ひと同士の交流のなかで見られる行動の意味づけであると思われます。

意味づけをするためには、客観的な視点が必要です。

客観的に見ることで、普段のストレスを緩和する効果もあります。


そんなわけで、わたしたちは、あのひとのあの行動はこういう意味かな、と日々考えてしまうように思います。

先日、友人と話していたら、面白いことを言っていました。

身近にいるちょっと困った人について語っていたその人が、

「あれって、マウンティングだと思うんだよね」

と言うのです。

マウンティングというのは、犬でよく見かけると思いますが、ほかの犬やもの、ひとの足などにまたがって腰を振る行動です。意味合いとしては、一般的にはステータスを誇示する行動と思われています。

「私が上よ」という気持ちがマウンティングという行動を起こさせると信じている方も多いと思います。


その友人も、そういう意味で使っていました。つまりそのちょっと困った人というのが、自己顕示欲が強めな人物で、にこやかに近づいてきているように見えて行動の端々に圧を感じる、というわけです。

それを一言で、「マウンティングだと思う」とさらりと言えるその人のスマートさにまず感心しました。

嫌な思いもしたでしょうが、その人は自分も含めてその状況を客観的に見ることができているからこそ出てきた言葉でしょう。


マウンティングか、なるほどなあ。うまい表現です。

さきほど書いた通り、一般的にマウンティングは個体の地位が上であることを周囲に示すための行動であると思われています。

ですが、獣医動物行動学の分野では、主張や要求のほか、葛藤や不安もマウンティング行動が現れる原因にあげられます。実際、問題行動で相談を受ける場合にマウンティング行動が純粋にステータスの誇示と考えられる場面はあまり多くありません。


比較認知科学という分野があります。

「比較認知科学とは、ヒトを含めた種々の動物の認知機能を分析し比較することにより、認知機能の系統発生を明らかにしようとする行動科学である」(藤田、1998)

なにやら難しいですが、ヒトという存在を動物界の中にどのように位置づければよいのかを考え直すために、こころの働きがいかに進化したのかを明らかにすることを目的とした学問、ということです。


さっきの話に戻るとかんたんです。

要するに、ひとも動物。マウンティングと同じような行動があっても全然おかしくありません。自分自身に聞いてみてください。おれはあいつより上や、勝った、という感情はとても気持ちの良いもので、小さい子どもは特に顕著に行動に現れるという話は、以前にも触れました(「ジャンケンで負けると怒っちゃう子」Jiu勉強帳)。


大人にも同じような感情があります。子どもと違うのは、抑制をかけて「よくできた大人」のように振る舞うことを意識しているところだけです。

その抑制がユルいと、気づかないうちに行動に現れてしまうというわけです。

先の話の困った人は、自分では気づかないうちに出ちゃっているのでしょう。それが周りの人にわかってしまうので、あらあら困った人だな、ということになります。

ただ、ここでもうひと考察。

マウンティングは、ステータス誇示という意味づけの中に、不安や葛藤という情動が隠れていることが多いと述べました。

困った人を思う時、ちょっとそこまで想像してみると行動分析が一歩先に進んで、結果的に自分がさらに少しだけ、楽になれるかもしれません。



さて。

長くなっていますが、そろそろ12月。

午後3時を過ぎるともう薄暗くなってくるここ十勝では、なんとなく夕方の時間がながくなり、せかせかした気分が薄れる気がして私は好きな季節です。

ついつい文章も長くなるというもので。お許し願いたい。


そして12月と言えば忘年会。職場、友だち、サークル仲間などメンバーを替えて予定が入ってくる時期ですね。

夫も先日飲み会があったようです。

大して強くないくせにいつまでも体育会系気質が抜けないのか、なんだかんだ飲みすぎて帰ってくるひとなのですが、この夜も午後11時過ぎの帰宅で、かなり酔っているようでした。

「あー、二次会まで残る必要はなかったなあ。」

とボソッと言い、

「二次会ってなんやろう。もう話すことは一次会で十分やったんやけど」と言いました。


40過ぎのおじさんの集まりですからね。そりゃそんなもんでしょう。

と思いながら聞いていましたが、ふと、先ほどのように行動の意味づけをしてみたくなりました。


「ひとが飲み会で二次会に行く」という行動。

若い頃はよっしゃ二次会行くよ〜!と言われると、身体も元気だし、何か楽しいことがありそうな気がしてホイホイと行っていました。

夫も同様だったでしょう。

なのに今はホイホイと行ってしまっているところは変わらないながらも、疑問を感じている。

老いたから?

そうかも知れません。おっさんには午後11時はおねむの時間です。

でもお酒は飲んでいるわけで、眠くても喋ったり飲んだりはしているようです。体力的には大丈夫なのではないか。


とすると、心理的なものでしょうか。

ははあ、そうか。

「結局、二次会って求愛行動だからでしょう」

と私が言いましたら、夫は直ちに納得したようでした。


意中の相手がいてもいなくても、二次会にいくという行動によって、ひとは「求愛」しているのでは、というのが私が行った意味づけです。

一次会はパブリック、二次会はプライベートという状況もあり得ます。

ややこしい親戚や上司がいなくなり、二次会が気楽に話せる場になることもあるでしょう。もちろん、人間の行動は複雑で、一つの意味づけで収まるものではありません。

ですが、夫に限って考えた場合、このやる気のなさはなんだろうという問いに聞こえましたもので、さっくりと言ってみたところ、妙にハマったようでした。


あんた独身の頃はにっこにこして、「もう一軒行きましょう」言うてたな、私に…

まあそんなことを思い出しながら、さてこの意味づけが、今後彼になにか良い影響を及ぼすのかどうかと考えていました。


私自身は一次会で大いに語り、十分に楽しんで、過度の求愛行動は控えるつもりでいる今日この頃です。




12 Nov 2019

(24) 本日オープン。

こんにちは。Jiu動物行動クリニックのむろいです。


この「Jiu勉強帳」には、獣医動物行動学に関わることや獣医学に関する覚え書き、日々感じたことなどを自由に書き綴っています。


本日、クリニックを開設しました。

朝から次々とお花が届き、小上がりがいっぱいに。

やっぱりテーブルあって良かったわ。などと若干後ろめたい買い物を正当化する理由に使ってはバチがあたるというものです。

日頃お世話になっている先生方からの激励のお言葉。身が引き締まります。

大学の後輩からの贈り物には、今頃ようやくひとり立ちしたおばちゃんにとって、ものすごく染み入るものがあります。

父からの電報。やはり団塊世代の父には何はともあれ電報なのでしょう。喜んでくれているなら本当に嬉しいことです。

そして何より嬉しかったのが、飼い主さんからの贈り物です。


お花を下さったのはおとふけ動物病院時代に行動カウンセリングに来てくださった方です。保健所からひきとったわんちゃん二頭を全力で可愛がっていた飼い主さん。次から次へといろんな事がおきて、それでも絶対諦めないという姿勢には心から感銘を受けました。

過去のトラウマなのか、怪我を治療しようと思っても怖がって噛みついてしまう柴犬の子にもじっくりと向き合い、根気よく口輪をつけさせる練習を重ねて3ヶ月が経った頃、カウンセリングに来てくれたときに初めて大人しくつけさせてくれるところを一緒に見せていただいたこと、今でも忘れられない瞬間です。

気にかけていただいて、本当にありがとうございます。


それから、手作りのサンキャッチャーを今朝ポストにそっと入れていってくださったのは、ゴールデンのはなこちゃんの飼い主さん。

カウンセリングをしたのは今年の7月で、往診させていただきました。

こちらではなちゃんの写真も使って、紹介していいよ〜とご承諾をいただきましたので、改めて症例としてご紹介したいなと思っております。

ご相談の内容は、トイレ以外の場所での排尿と、甘噛みが止まらないこと。

今思えば、5ヶ月齢のはなこちゃんがはなこちゃんなりに、色々と考えた行動だったんだなあと思います。それはもうイキイキと問題行動していましたね。

今ではちゃんとトイレで排泄できるようになったはなこちゃんですが、やんちゃぶりは今も変わらず、クリニックに遊びに来てくださった時も元気いっぱいでした。

犬も考えることの楽しさを知っているんだろうな、と素直に思わせてくれるはなこちゃんの成長は、今後もそっと見守らせていただきたいと思っています。

マニアックなお話も喜んでくれる飼い主さん。心のこもった贈り物、すごく嬉しかったです。ありがとうございます。


他にも、雷恐怖症で今も時々経過を知らせてくださる飼い主さんからいただいたストームグラスも置きました。

週末白くなりそうですね…アサちゃん、大丈夫かな。


さて、そんな感じで改めてスタートラインに立ちました、Jiu動物行動クリニックですが、15日から18日まで院長不在のため休診です。

大阪で学会がありまして、ちょっくら症例発表をさせていただきに行ってきます。


行動治療が獣医師の間でもきちんと認知され、治療を求めている飼い主さんに行き渡りますように。

微力ながら、そのお役に立てればという思いです。

関西人の貧乏根性で、どうせ行くなら発表しとかな損やで。という気持ちもなきにしもあらずです。

そして、小動物臨床の知識をアップデートするまたとない機会でもあります。

行動専門であっても、小動物臨床の常識を知らないでは済まされません。


当たり前のことができて初めて尊敬される


これは開設前の数週間、家事をサボりにサボった挙句、家族から苦情を受けるに至った際に、頭に浮かんだ言葉です。

家族のごはんをきちんと作って初めて、働いてるおかあさんエライねって言ってもらえるものなんですねーーーーー。ねーーー。

もう納得しかないので、とりあえず苦手な料理にも取り組んでおります。

ですので、ふつうの獣医さんが知っていることを当然知っていて然るべきなのです。しっかり勉強してこようと思います。


大事なのは、当たり前のことをしているときに褒めてもらうことなんですけどね。

ないな〜。おかしくな〜い。

行動修正の奥義を改めて晩餐の時に家族に説く必要がありそうです。


まずはご馳走を作って…それからにします。


今後とも、この謙虚なJiu動物行動クリニックをよろしくお願い申し上げます。


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